未来をつくる

2020年3月4日

ある時代のある日、人はこの世に生まれ落ちる。

しかし、ある時点を境に、周囲とはちがう自分に気づく。

きっかけは、家族の死や失業、離別や病気かもしれない、あるいは自然災害や原発事故や新型ウィルスの蔓延かもしれない。まるで、異星人になったかのようにそれまで、見慣れていた風景に違和感を感じ、眼前に広がる世界を表す言葉を実は、持ち合わせていない危うい自己を「再発見」する。

情報学研究者のドミニク・チェン氏は、最新刊『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』の冒頭で、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが長年の盟友・精神分析家フェリックス・ガタリとともに作り上げた「脱領土化」という哲学でこのことをとりあげる。

全く知らないことや、よく知らないことについて書く以外に、果たして書きようがあるのだろうか?私たちは自らの知識の先端、つまり既知と無知を隔て、片方からもう片方へと移行させるこの極限点においてしか書くことができない。このような方法によってのみ、わたしたちは書くことを決意できるのだ。

チェン氏は、台湾に由来を持つ父親の元、1980年東京でフランス国籍者として生まれた。幼少期をフランスの公教育の下で徹底した「リベラルアーツ」を学び、学生時代は、アメリカ西海岸カリフォルニア大学バークレー校で「デジタルアーツ」を修めた。デジタルネイティブ世代でかつグローバルに育った環境から自然に多言語話者(ポリグロット)となった現代の申し子のような生い立ちをもつ。

彼自身が通過してきた多様な違和感を言語化し、自らの内部に「領土化」してきた体験の語り口は新鮮で、人文学とテクノロジー両面に精通している彼独自の客観的な「開かれた思索回路」による明晰さに支えられて、読者は次々と新たな好奇心の扉が刺激される。

とくに、東京大学の大学院時代、アメリカ西海岸の文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンの思想を紹介する著書『デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化』(モリス・バーマン・著/柴田元幸・訳)に出会い、「個」からではなく、「関係性」から考える開かれた社会システム論に目覚めるくだりは、個人的にはとても惹かれた。

情報工学への言及も面白い。フォン・ノイマン型アーキテクチャによる「他律的システム」は、現在多くのコンピューターやA.I(人工知能)に採用されているが、定量化される情報単位に基づき、意味や価値が外部入力された「計算」により固定化され、システムの「自動化」には向いているものの、柔軟性に欠ける。

一方で、チベット仏教の「縁起」の思想から着想されフランシスコ・ヴァレラの生命観に源流を持つ、ウィーナーの「自律的」システムは、自動車の自律運転アルゴリズムなどにみられるように複雑な状況を柔軟に自己学習する適応アーキテクチャであり、”ALife(人工生命)”の領域で自由に進化する。チェン氏は、このようなシステムは人類全体の労働観や幸福度(ウェルビーイング)向上に欠かせない、より民主的システム思想であると語る。

さらに彼は、日本の武道に残る「守破離」の思想、能楽師の安田登氏や言語学者から学ぶことで、システム論をコミュニケーション論へと展開する。そこでは「差異」を強調する「対話(Dialogue)」ではなく、自他の境界線を融かす「共話(Synlogue)」の思考が日本固有の古典文化から「領土化」され、民主主義の合理性を発揮できない場面を克服するテクノロジーとして紹介される。

人類が、古代から口頭や文字による記録を使い「自然進化」とは別に、人工的な進化のフィードバック・サイクルを適応し「所有」を「分有」に転換しながら発展してきたように、これからはさらに「個」から「共」のリアリティを醸成する技術への転換をはかることで、全体主義に陥ることなく、70億人以上からなる社会システムが、40兆個の細胞が連動する一個の身体と同じようなしなやかさを学び、「種」としての時間を生きる認識をもつべき、とチェン氏は語る。

たしかにデジタル・テクノロジーと無縁では、私たちの社会生活はすでに成り立たなくなっている。テクノロジーへのアレルギーを理由に、その現実に瞳を閉ざしている場合ではない。

むしろ、私たちが共有すべきは、テクノロジーを中央集権的な自由度の低い社会の閉ざされた「環世界」を維持存続しようとする人間と、分散型ネットワークによるより自由度の高い共生社会システムの「環世界」に生きようとする人間との戦いは、すでに始まっているという現状認識だろう。

本書は、かつて経済学者の金子勝氏が、医学研究者の児玉龍彦氏との共著『逆システム学 〜市場と生命のしくみを解き明かす〜』で示した、生物の多重フィードバックのしくみを経済学理論にダイナミックに適用した着眼を、メディア情報学的アプローチで再編集されたものとしても楽しめる。あるいは、「差異」を認め合う地点から始めるコミュニケーション理論への言及は、劇作家の平田オリザ氏による演劇ワークショップや関連する著作『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』の視座とも重っているおもしろさもある。

しかし、なによりも、飯田哲也氏が18年前に『エネルギーと私たちの社会 デンマークに学ぶ成熟社会』(ヨアン・S・ノルゴー ベンテ・L・クリステンセン著、飯田哲也 訳)で日本に紹介した北欧型地域分散型エネルギー社会のモデルにおける「持続可能な発展とは、必然的に、人間的な多様性をみとめあう社会の構築に向かわざるを得ない」という社会哲学で一致している点が興味深い。

歴史は、一方向の直線運動ではなく円環を描く。生まれる可能性のある無数の未来にとって今は、学ぶべき過去であり、同時に試される未来でもある。

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1970年生まれ下関市民。福島原発事故後も「変えられない変わろうとしない日本社会」に衝撃を受け、ISEP所長・飯田哲也氏に「あなたのクレイジーにつきあいます」とメッセージを送ったことをきっかけに、日本版「コミュニティパワー」の探求を開始し、現在に至る。ISEP理事、非営利型株式会社市民エネルギーやまぐち取締役、歯科医師。

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