前回のコラムでは、一般消費者から見て電力自由化とはどのようなものか、という消費者目線で電力自由化について考察し、自由化とは本来リベラルな(公平な)市場を目指し、その意義は「公平性(フェアネス)」と「透明性(トランスペアレンシー)」の担保にある、ということを述べました。今回は、自由化の動向がビジネスに直結する小売事業者や発電事業者にとって電力自由化とはどのような意義をもつのか、公平な市場とは何か、について考えてみたいと思います[1]。
まず最初に指摘しておきたいことは、再エネに慎重な側も再エネを推進する側も、両者とも電力自由化についてやはり同じような誤解をしている人が多いかもしれない、というという点です。例えば、再エネに懸念を抱き、再エネの急激な成長をあまり快く思っていない人たちから、固定価格買取制度(FIT)は「市場を歪める」ものでけしからん、再エネばかり優遇されるのはズルい、という主張はよく聞かれます。一方、再エネを推進したい人たち、あるいは再エネを取り扱う小売事業者からは、再エネ100%を売り文句したいのに何故ダメのか、再エネが目の敵にされてけしからん、という声もよく耳にします。これらの主張は、自由市場の公平性や透明性という観点からは、本当に筋が通っているでしょうか? 今一度再考が必要そうです。
日本に流布するFITの誤解
まず前者の「FITは市場を歪める」説から検証して行きたいと思います。FITは政府が直接的に費用を負担する補助金ではありませんが、電力消費者(≒国民)に広く賦課金を負担して頂くという点で、広義の補助金に含まれます。日本ではそもそも補助金というシステム自体が誤解されていることが多いためか、補助金で特定の電源だけ優遇するのはズルい、不公平だ、市場を歪める!という主張が出てきてしまうのかもしれません。
そもそも環境経済学では補助金と税とはセットであり、外部不経済の解消のために用いられます。昨今では「補助金目当て」とか「補助金まみれ」と言った形でネガティブに使われることも多いようですが、そもそも本来の補助金(や税)の目的は市場で発生する外部不経済(による不公平性)を是正するためにあるのです。
もちろん、現実の補助金の使われ方はやはり理想通り行っていない場合もあります。もしある特定の補助金が多くの人にとって不公平だと感じられるのであれば、それは補助金というシステムそのものが悪いのではなく、その当該補助金が市場の不公平性を是正することに役に立っていない(あるいはむしろ不公平性を促進している)可能性があります。このような補助金のあり方は、補助金のパフォーマンスが問われない(効果が計測しづらい)ことが多いのが原因であり、この点は可能な限り改善すべきです。
その点でFITは、発電電力量(kWh)という形で効果が計測しやすいという、透明性の高い特徴をはじめから有しています。また、FITは再エネという特定の電源を恒久的に優遇するという環境政策の側面よりは、幼稚産業の育成のために時限的に導入する産業政策の側面の方が強いのです(前出コラム参照)。現在,再エネという新規技術に対して高い市場参入障壁が存在し、このままでは新規参入者も含め全てのプレーヤーに公平でない状態にあります。つまり「FITにより市場が歪められている」のではなく、「もともと市場が歪められていた」のを補正するためにFITが導入されたのです。この点をまず押さえなければなりません。
上記のようなFITに対する誤解や極端な解釈は、日本ではFITに関する良書がほとんど翻訳されていないため[2]、FITの理念を知らずに議論している人が多いからではないかと筆者は推測しています。理想論を語っても仕方ないという意見もありますが、そもそもの理念(特に公平性や透明性の担保)というブレない軸をすっかり忘れてしまうと、ご都合主義や場当たり的な解釈にしかなりません。あくまで理想論を念頭に置きながら、現実と理想の違いをどう埋めるかを模索するかが日本の将来を考える上での健全な議論だと筆者は考えます。日本における荒れたFITの議論の原因は、この理想論の不在にあるのかも知れません。
再エネ事業者も誤解しているかも…
一方、再エネを推進する側にも、「公平性」が疑わしい言説がしばしば見られます。例えば、小売完全自由化の波を受け、小売事業者が「再エネ100%」を表示したいと主張するケースも見られています。この「再エネ100%」には、少し慎重な見極めが必要そうです。
「再エネ100%」は再エネを推進する人やそれを支援したり共感したりする人たちにとっては魅力的な言葉ですが、筆者は「再エネ100%」には良い「再エネ100%」と悪い「再エネ100%」があると考えています。前者は技術的・経済的にも実現可能性(フィージビリティ)が高いもの、後者は技術的・経済的に不合理で市場を歪めかねない不公平性を孕んでいるもの、と言い換えることができます。
例えば、風力発電の先進国デンマークでは、現在風力発電の発電電力量導入率が40%あり、2035年には発電部門および熱供給部門での再エネ比率を100%、2050年には全エネルギー消費での再エネ比率を100%にするという国家プランを立てています[3]。これは決して荒唐無稽な計画ではなく、1970年代から国民的な議論を積み重ね着実に布石を打ちながら世界に先駆けて実績を積み重ねてきたデンマークならではの、満を持してのエネルギー戦略であると解釈することができます。
また、今現時点でも身近に「再エネ100%」を合理的に実現できる方法もあります。それは「グリーン電力証書」です。このしくみは、再エネによって発電された電力を電力価値と環境価値に切り分けて、環境価値を取引可能な証書(証券)として売買することにより、再エネを支援する仕組みです(図1)。ここで「環境価値」とは、電気そのものの価値のほかに再エネが持つCO2排出削減などの付加価値のことを指し、グリーン電力証書は環境価値を市場経済の中に組み入れるうまい仕組みだとも言えます。この仕組みにより、証書の購入者(小売事業者や大口電力消費企業など)は実際には再エネ発電設備を所有していなくても環境価値を持つことができ、再エネによって発電された電力を使用していると正当に表示することができるわけです。
図1. グリーン電力証書における環境価値と電力価値
ちなみに日本の現在の制度では、このグリーン電力証書は固定価格買取制度(FIT)とは併用ができません。なぜなら、FITは電力消費者(≒国民)に広く賦課金を負担してもらう制度なのですが、環境価値もFIT賦課金に組み込まれて既に国民に分配されているからです。グリーン電力証書で購入した場合は「再エネ由来」が表示できるのに対し、FITの電気を購入した場合は「再エネ由来」を表示できない(と政府が説明する)のはそのためです。
グリーン電力証書は2012年のFIT法施行以降流通が減っており、両者の関係をどう改善するかについては経産省でも議論されています[4]。また、FITから環境価値を分離して「発電源証明」を表示するという仕組みも提案されています[5]。この点に関する制度改革も、やはり公平性と透明性の観点から、今後注視が必要です。
ところで、上記のグリーン電力証書による「再エネ100%」は、証書(証券)という形で市場に組み込まれるので経済的合理性がありますが、自治体や小売事業者などが個別の単位で物理的に「再エネ100%」を行おうとすると、技術的にも経済的にも合理性がない結果になりかねません。狭い地域で「再エネ100%」や「地産地消」を無理矢理達成しようとすると、その地域内で需給バランスを保つために巨大な蓄電池が必要となってしまいます。電力系統全体で需給調整を管理すれば蓄電池は本来不要で、技術的・経済的にも合理性がないということは本コラムでもたびたび紹介している通りです。その本来不要なコストは誰が負担するのでしょうか? このように再エネ100%や地産地消という美辞麗句のもと、却って余計なコストが発生してしまっては本末転倒です(そのために不合理で不透明な補助金を使うとなれば国民負担はさらに増えます)。
さらに、電力完全自由化を受け、他地域への「越境送電」を検討している発電事業者や小売事業者も多いようですが、前回コラムで「消費者が自由に選べることだけが自由化ではない」と述べたのとまったく同様、遠方の取引相手を自由に選べることだけが自由化の恩恵でも目的でもありません。そもそも遠くの売り手(買い手)を探すということ自体が相対(あいたい)取引しか念頭に置いておらず、結果的に市場取引を軽視することになってしまいます。もちろん、相対取引も経営戦略上有利な場合もありますが、本来不特定多数のプレーヤーが透明性高く取引を行う市場が成熟しないと、取引される商品(ここでは電力量)の価値の相場も決められません。現在、日本の電力取引所の取引電力量は総発電電力量の数%もありません。電力自由化を健全に着実に推進するには、まず市場取引を増やすことを考えなければなりません。
このように、善意で再エネを推進しようとしても、技術的・経済的に不合理な手段を無理に押し進めれば公平性を欠き、市場を歪めることになります。市場歪められると被害を被るのは一般消費者や将来の国民です。再エネは葵の御紋でも錦の御旗でもありません。やはり公平性と透明性の観点から、市場経済の中にどのように組み入れるか、が問われています。
再び、電力自由化とはそもそも何のためか、を考える
以上考察したように、どうやら一般消費者だけでなく発電事業者や小売事業者にも(さらには既得権益者にも新規参入者にも)、自由市場とは何かを誤解しているかのように見られる言動が少なからず見受けられるようです。電力自由化の目的は本来、「公平性」と「透明性」のためである、ということを再度確認しつつ、日本において健全な電力自由化を進めるためにはどうすればよいか、そして再エネ大量導入を公平な市場経済の元で実現するためにはどうすればよいかを、2016年4月の電力小売全面自由化を機に、改めて問題提起したいと思います。