私たちは今、歴史の岐路に立たされており、前途は楽観視できません。ウクライナでの戦争は罪のない市民を殺し、生活を破壊し、エネルギーや食料などの市場を揺るがしています。近隣諸国や自国民の権利をほとんど尊重しない政府をもつロシアとの取引に、なぜ私たちはこれまで満足できていたのでしょう。
石油、ガス、石炭、食糧、金属の生産を友好的な国から増強することが、明白な道であるように思われます。ロシアの石油、ガス、穀物、金属、その他の商品からできるだけ距離を置き、他の国から素早く調達するのです。
残念ながら、これは簡単なことではありません。ロシアは世界有数の石油とガスの輸出国であり、その他にも小麦(世界最大の輸出国)、アンモニア肥料(天然ガスから作られる)、鉄とニッケル(鉄鋼に使用)、金とチタン、プラチナとパラジウム(石油産業で使用)、ネオン(電子産業のレーザー用)、コバルトとレニウムという、気の遠くなるほど多くの材料を輸出しています。レニウムの予備はありませんか?
より難しい答えは、太陽光発電や風力発電、バッテリーからエネルギーを得る(SWB)、精密発酵や細胞農業から農産物を生産する(PFCA)、電気自動車(EV)や自律走行車(A-EV)、TaaSによる輸送や生産の効率化で資材使用を根本的に減らすなど、石油やガス、石炭、小麦、貴金属、希少元素などへの依存をできる限り減らすことです。
世界経済の急速な再編成は、短期的には痛みを伴うでしょう。私たちが当たり前のように使っている多くの製品の価格は大幅に上昇するでしょう。雇用も失われます。このような「良くなる前の悪化(worse-before-better)」ダイナミズムは、複雑なシステムでよく見られることです。ビジネスを構築するためには、まず投資をおこない、多額の借金をしなければならないかもしれません。物事が好転する前に、財政的な悪化が発生します。
化石燃料や工業的農業からの脱却も同じことでしょう。しかし、長い目で見れば、SWBエネルギーとPFCA食・農の構築は、価格の低下、生産の分散化、そして政治の安定を意味します。
蒸気機関は解放される前に奴隷になった
私たちは以前にも同じような状況を経験し、混乱が地政学的に大きな影響をおよぼし、時にはネガティブな、時にはポジティブな結果をもたらしたことがあります。この複雑な関係を理解することは、今日のリスクと機会をナビゲートするのに役立ちます。
地政学的にもっとも重要なディスラプションのひとつが、数世紀前に起こりました。これは、ディスラプションがいかに直接的な負の影響を与える一方で、長期的には正の影響を与え、最終的には社会、経済、文化の全面的な変革を促すことができるかを物語っています。
何世紀もの間、船頭は船の板の隙間を麻などで埋めていました。また、虫から木を守るために、タールやピッチを塗ったりもしました。しかし、それでも虫はいなくならないし、フジツボや雑草が水面下で繁殖し、船が重くなり、航行速度が落ちることもありました。そのため、定期的に船を水から引き上げ、きれいに削り取り、再びタールを塗る必要がありました。
しかし、1765年5月のある日曜日の散歩が、それを、そして他の多くのことを、永遠に変えてしまいました。蒸気機関は何十年も前から存在していましたが、あまり効率的ではありませんでした。ポンプを動かすのに多くのエネルギーが必要で、スピードも遅く、信頼性も低いものでした。しかし、29歳のジェームス・ワットは、スコットランドでの散歩の途中で、常に低温に保たれるエンジンの復水器と、常に温かい蒸気シリンダーを分離し、バルブで接続することを思いついたのです。この画期的な仕組みにより、従来のエンジンの約5倍もの効率を実現しました。同じ仕事をするのに必要な燃料の量は約20%でした。
これは「ディスラプションのパターン」の一部であり、新しい技術は既存の技術よりも根本的に優れているため、すぐに旧い技術を駆逐してしまうのです。
ワットの発明により、より強力で、より速く、より効率的で、より信頼性の高い蒸気機関は、産業革命の幕開けとなりました。蒸気機関は、まず機械の材料となる金属を供給する鉱山で使われるようになりました。その安定した動力は、それまでのエンジンでは不経済であった、糸を紡ぎ、布を織り、木を回し、金属を穿孔する工場の機械化を可能にしました。(皮肉なことに、効率が上がれば上がるほど、燃料の消費量も増えていきました。これは以前に見た通りです。)
ウェールズ北西部にあるパリス山は、当時世界最大級の銅鉱床でした。青銅器時代から、地表に近い場所に鉱脈があり、アクセスしやすかったため、利用されていました。しかし、残念なことに鉱石の品質があまり高くないため、金属製品に精製するために多くのエネルギー、つまり多くの石炭が必要でした。石炭を鉱石の場所に運ぶよりも、鉱石を石炭の場所に運ぶ方が簡単だったほどです。
しかし、ワットの発明したエンジンは、この方程式を一変させました。金属の入手を容易にし、布の生産を容易にしただけでなく、それらの機械の燃料となる石炭の採掘を容易にし、後年、蒸気機関車や蒸気船の建造も可能にしたのです。材料、エネルギー、輸送のすべてに革命をもたらしたのです。
また、船底虫害の解決策にもなる
工業化された鉱山は1775年にパリスで始まり、15年の間に世界最大の銅山となりました。鉱石は船に積まれ、南のスウォンジーに運ばれました。スウォンジーには石炭が埋蔵されており、ワットの蒸気機関によって、その石炭を利用することができたのです。1790年には、イギリスの鉱山は世界の銅の75%以上を生産するようになりました。
ワットの蒸気機関特許からわずか10年後の1779年から1781年までのわずか2年間で、イギリス海軍の全艦艇に銅の船底が張られたのです。ガレス・リーズの論文「銅被覆:イギリス商船隊における技術普及の一例」によれば、「銅被覆は、虫や船体の汚れ(フジツボや雑草など)の問題を解決するだけでなく、予想外の嬉しい副産物として、実際に航海速度を向上させたのである。」
これも「ディスラプションのパターン」のひとつで、一見無関係に見える海運の問題が、より優れたウォーターポンプによって解決されるという意図せぬ結果をもたらしたのです。
このように、意図せずとも素晴らしい結果が得られる一方で、恐ろしい副作用がありました。銅で覆われた船は航行速度が約15%速くなり、80日かかる大西洋横断が約12日にまで短縮されることになったのです。熱帯海域を行き来する船や、迅速な移動が必要な船はすべて、銅製の船底の恩恵を受けました。しかし、高速化によって経済的にもっとも恩恵を受けた商船がありました。それは奴隷商人です。
奴隷貿易船も、海軍の艦隊と同じ時期に、わずか2〜3年の間に、銅製の船底を持つ船が10%以下だったのが、70%以上になったのです。これにより、輸送中に船上で死亡する奴隷が減り、奴隷制が効率的におこなわれるようになりました。
米国国立人文科学基金のプロジェクトであるSlaveVoyages.orgのデータベースによると、銅底の船では、土留めのない船に比べ、死亡率が約半分であったことが示されています。1780年以前は、大西洋横断の航海中に奴隷にされた人々が失われる割合はおよそ20%でした。1780年代前半以降、これは約10%に減少しました。
大西洋横断の奴隷貿易と奴隷制の予想外の急速な終焉
2019年の英国議会で、環境保護活動家でテレビ司会者のデービッド・アッテンボローはこう語っています。
「19世紀には、文明的な人間にとって、他の人間を実際に奴隷として所有することは道徳的に許されることだと考えることが、完全に受け入れられた時代があった。それがどういうわけか、20年か30年の間に、世間の認識が完全に一変してしまったのです。」
多くの歴史家は、奴隷制の終焉の主な要因は経済的なものであり、収益性の低下であったと主張します。また、奴隷制廃止派の人道主義的な運動の高まりが原因だと主張する人もいます。奴隷にされた人々の英雄的な抵抗も重要な要素です。しかし、これらの要因のすべてを可能にする背景となったもっとも重要な発展のひとつが、通常見落とされがちです。大西洋横断奴隷貿易と奴隷制度そのものの終焉をもたらした他の多くの要因を可能にし、増幅させた包括的な要因は、蒸気機関によるテクノロジーディスラプションでした。
これには、第一に、経済を一変させ、奴隷労働を究極的に不経済なものにする重要なディスラプションが備わっていました。鉱業の生産性を大幅に向上させ、工業生産の工場システム全体を可能にしたのと同じ装置が、肉体労働を、ほとんどの場合、機械労働に対してもはやコスト競争力のないものにし、ますますそうさせたのです。奴隷貿易の崩壊が、ディスラプションの規模拡大と同じ時間枠の中で急速に起こったのも不思議ではありません。
奴隷貿易の歴史を総覧すると、1650年頃から1750年頃まで急増し、1750年から1850年頃までがピークとなる「こぶ状の」カーブを描いています。しかし、その後、わずか数年の間に貿易全体が停止しました。1849年にアフリカから大西洋を渡って連れてこられた人数は76,654人で、1750年から1850年の年間平均63,853人を大幅に上回りました。しかし、運ばれた人数は、1850年には1849年の半分、1851年には1850年の半分になっています。15年後、貿易は完全に終了しました。
当初は奴隷貿易の効率化に貢献し、その利益を増大させたテクノロジーディスラプションは、最終的には、機械労働が奴隷制度よりも桁違いに安価で効率的であることが判明したため、奴隷制度の完全崩壊を促進することになりました。
もちろん、テクノロジーディスラプションが唯一の要因というわけではありませんが、それなしに奴隷制の急速な崩壊が可能であったとは考えにくいものです。
1700年代後半、英国の奴隷貿易法(1788年)は、大西洋を横断する奴隷貿易の悲惨な状況をより「人道的」なものにしようと試みていました。悲しいことに、これはすべて小さな漸進的な措置であり、最終的に奴隷制度そのものに異議を唱えるものではありませんでした。むしろ、今日、気候変動との関連で語られている小さな中途半端な措置や小さな行動の変化のようなものです。
例えば、この法律では、イギリスの奴隷船で輸送する奴隷一人当たりのスペースを、「重量207トンまでは1トン当たり1.67人の奴隷、それ以降は1トン当たり1人の奴隷しか運べない」と義務づけています。
蒸気機関によってもたらされたもっとも早いインパクトは、奴隷制度をさらに改善することでした。奴隷船の船底に銅板を貼ることで、より速く移動できるようになり、一回の航海での死亡率が下がり、奴隷貿易がより人道的になりました。
しかし、結局のところ、これらの措置は、奴隷制度をより「人道的」にすると称しながら、実際には奴隷制度の存続を強固にすることにしか寄与していませんでした。蒸気機関によるディスラプションの後、産業界の経済が全面的に変化したおかげで、奴隷制度を廃止することは実現可能であるだけでなく、経済的にも望ましいものとなったのです。こうした新しい経済によって、労働力の組織化や社会の運営方法についてまったく新しい可能性を人々が認識することとなり、政治的・文化的な劇的変化の基礎を築くのに役立ったのです。
崩壊が早かったのは大西洋を横断する奴隷貿易だけではありません。奴隷制度全体が急速に崩壊しました。イギリスでは、1823年に「イギリス領における奴隷制の緩和と漸進的廃止のための協会」が設立されました。それからわずか10年後の1833年には、彼らはその目的を達成しました。アメリカでも、1860年には約半数の州で合法だった奴隷制度が、わずか5年後にはすべての州で違法となり、わずか数年で崩壊しています。もちろん、奴隷制の崩壊は平和的に起こったわけではありません。蒸気機関によってもたらされた経済力の変革が、インセンティブ、リスク、機会を変えた一方で、アメリカ南北戦争の勃発は、制度としての奴隷制の崩壊がしばしば暴力的な過程であったことを物語っています。
ウクライナ戦争は「自由の時代」の前兆?
蒸気機関は、奴隷制を崩壊させただけでなく、化石燃料の時代へと突入させました。蒸気機関は、生産と製造の工業的メカニズムを導入することで、化石燃料の時代へと私たちを導き、そしてもちろん、それは気候変動をもたらしています。
そして20世紀を通じて、希少な石油、ガス、石炭資源の中央集権的支配を前提とした地政学的秩序の基礎を築いたのです。今、私たちは経済学者のネイサン・ヘーゲンズが「エネルギー奴隷」と呼ぶものに依存しています。化石燃料は、内燃機関で燃焼させることによって、人間が望む以上の仕事を1時間あたりにこなしてくれるのです。燃料のほんの一部しか動力にならない自動車は、これらの燃料が安価で簡単に手に入るのであれば、利用し甲斐があります。また、これらの燃料は、私たちが牛に与える穀物を育てるための肥料の原料にもなります。牛は、投入された燃料のごく一部を牛乳や肉に変えます。
この化石燃料の「エネルギー奴隷」システムにおいて、世界の石油、ガス、穀物の多くを独占するロシアは、卓越した存在ではないにしても、手ごわい存在であることは確かです。ウクライナ戦争は、このシステムの地政学的な危険性を浮き彫りにしています。しかし、奴隷制度に関連する「ディスラプションのパターン」の展開は、このシステムがいかに早くはるかに優れたものに取って代わられ得るかを浮き彫りにしています。このパターンは、単に化石燃料システムとロシアの支配の細部に注目するのではなく、ロシアの権力にとって極めて重要なエネルギー源を破壊することが、今後のもっとも効果的な道筋であることを示唆しています。RethinkXの研究が示すように、その破壊はすでに始まっています。今後20年の間に、SWB、PFCA、TaaSによってエネルギー、輸送、食糧システムが破壊されれば、ロシアの地政学的影響力を支える産業は完全に時代遅れになってしまうでしょう。欧州のネット・ゼロ戦略とコミットメントは、世界経済が今や不可避の方向に進んでいることを物語っています。
しかし、ウクライナでの戦争は、化石燃料の「エネルギー奴隷」から私たちを解放することが、過去に何千年も続いた人間の奴隷制度を終わらせるのと同じくらい難しく、今後10〜20年の間に加速度的に起こるディスラプションの中で、致命的で破壊的な戦争を伴うかもしれないことを物語っています。
しかし、その任務が完了し、私たちが「自由の時代」に生きるようになれば、もはや私たちの生活や、私たち自身や私たちの商品の移動、食料を供給する動物を育成するために化石エネルギーを必要としなくなるでしょう。そのとき、私たちが現在、他人を束縛することに感じているのと同じように、嫌悪感を抱きながら、今日の暮らし方とそれに伴う地政学上の恐ろしさを振り返ることになるでしょう。
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本稿は「ディスラプションのパターン」連載の第4回です。
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著者:ブラッド・リビー(Bradd Libby)RethinkX リサーチフェロー
元記事:RethinkDisruption “The Disruption of Slavery Unveils Fastest Path to End Today’s Wars (The Pattern of Disruption, Part 4)” March 7, 2022. RethinkX の許可のもと、ISEPによる翻訳