ロケットからクリスタルへ

ディスラプションのパターン Part 8
2023年4月11日

1945年10月下旬、マンハッタンのエンパイアステートビルの近くにあるギンベルス百貨店では、新発売の「レイノルズ・ロケット」を一目見ようと、大勢の人が詰めかけました。銀メッキを施したスチール製のボディに、詰め替え用のチェンバーを備えたこのロケットのデビューの日には、5,000人もの人が集まり、彼らは12ドル50セント(2022年のドル換算で200ドル以上)を支払って手に入れました。

それは、アメリカの実業家ミルトン・レイノルズが、アルゼンチンへの旅行ではじめて目にしたアイディアでした。1930年代、万年筆は筆記具市場で実質的に100%を占めていました。インクを補充することができる万年筆は1884年に、ボールペンは1888年に特許取得されています。しかし、どちらもインクが漏れやすいという欠点がありました。

ラースローとゲオルクのビロー兄弟は、インクそのものを見直す必要があることに気づきました。1931年のブダペスト国際博覧会で、彼らはインク漏れのないボールペンを発表しました。それまでのボールペンとは異なり、ビローのモデルでは新聞紙用インクを使用しました。新聞紙用インクは、当時のペンインクよりも粘度が高いものの、乾きが早く、紙に塗ってもにじむことがなかったのです。

レイノルズは、兄弟のアイデアを模倣し、特許問題を避けるために十分な修正を加え、高級な詰め替え式ボールペンをアメリカで販売しはじめたのです。戦時中、何年も節約していたアメリカでは、ロケットははじめて商業的に成功したボールペンとなり、レイノルズは大金持ちになりました。タイム誌によると、ギンベルス百貨店は最初の6ヵ月間で500万ドル以上を売り上げたそうです。

レイノルズはペン会社を売却しましたが、他にも多くのことに興味を持ちました。彼は、飛行機による世界一周飛行記録を樹立し、南米旅行記を書き、1960年代から避妊に革命をもたらした経口避妊薬を開発したメキシコのシンテックス社への最初の出資者のひとりとなりました。

しかし、銀メッキの高級ボールペンの栄光の絶頂期といえば、1945年10月下旬にギンベルス百貨店でレイノルズ・ロケットがデビューしたあの日でしょう。そして、同じ年、ビロー兄弟は、その権利をイタリア生まれのフランス人、マルセル・ビッヒに売却ました。ビッヒはボールペンのあり方について、根本的に異なる考えを持っていたのです。

テクノロジーの収束

戦争で荒廃した土地で、両手いっぱいに高級品を買い求める群衆はいないだろうと、マルセル・ビッヒは考えていました。そこで彼は、戦後間もない時期にはじめて可能となった技術を結集させることで、低価格のボールペンを開発すべく取り組みをはじめました。ペン本体とインクタンクは銀ではなく透明なプラスチックで作り、筆記具の先端には真鍮やステンレスなど、当時の労働者に馴染みの深い金属を使用しました。

1950年、ビッヒは欧州で「ビック・クリスタル(Bic Cristal)」ペンを約18米セントの価格で発売し(レイノルズのロケットより遥かに安い)、1953年には年間4,000万本を売り上げるまでになりました。スティーブン・シュナーズは著書『模倣戦略の管理:後発組が先駆者から市場を奪う方法』の中で次のように述べています。「1950年代後半には、ビックは欧州のボールペン市場の70%という驚異的なシェアを獲得した。」

これは、私たちが繰り返し指摘してきた「ディスラプションのパターン」の一部です。ビック・クリスタルの事例でも、業界のアウトサイダーが同等以上の性能をより低コストで実現する新製品を市場に送り出し、その新製品が10~20年以内に市場を支配するのです。

ビッヒのような業界のアウトサイダーが生み出した使い捨てのプラスチック製クリスタルペンは「業界のリーダーたちを恐怖に陥れたアイディア」であり、「低価格のペンはペン業界を永遠に変えた。高価で宝飾品のようなものから、使い捨てのようなものへと、商品を再構成した。ビックの成功はそれ以上だった。実際、ビックの参入により、パーカー、シェーファー、そして特にウォーターマンといった業界の巨人たちは、今やずっと小さなハイエンド市場に追いやられた。」とシュナーズは述べています。

ビック・クリスタルは2006年後半までに1,000億本を販売し、現在地球上にいるすべての人に12本以上売れています。これは「一対一」で置き換えるディスラプションではなく、現在の一人当たりのプラスチック製使い捨てペンの数は、歴史上のどの時点でも万年筆や高級ボールペンの最高数をはるかに超えています。

そしてこの革命は、「書く」という行為を全面的に再考することにつながりました。『アナログの復讐』の著者であるデビッド・サックスは「ボールペンは、今日のスマートフォンに相当するものだった。それ以前は、書くという行為は、一定の環境、一定の机の上で、書くための他のあらゆるものを手元に置いておこなわなければならない、固定された行為だった。」と述べています。万年筆は、そのための筆記空間、ペン本体だけでなくインク壺や、ペンが漏れやすいので机上のブロッターなど、筆記に必要なすべての道具を備えた机を必要としました。しかし、革命後は、誰もがペンをポケットに入れ、必要なときに書き、ペンを紛失したり、盗まれたりしても困らないようになったのです。

しかし、ボールペンが革命を起こすのは、これだけではありません。次回は、ミルトン・レイノルズがペンを売って得た投資資金が、ペン市場を激変させ、その過程で西洋社会の多くを変えたことを紹介します。

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本稿は「ディスラプションのパターン」連載の第8回です。

著者:ブラッド・リビー(Bradd Libby)RethinkX リサーチフェロー

元記事:RethinkDisruption “Rocket to the Cristal (The Pattern of Disruption, Part 8)” October 14, 2022. RethinkX の許可のもと、ISEPによる翻訳

@energydemocracy.jp ロケットからクリスタルヘ – ディスラプションのパターン Part 8/ブラッド・リビー(2023年4月11日) – https://energy-democracy.jp/4932 #エネデモ #ディスラプションのパターン #ビッククリスタル #ボールペン革命 #マルセルビッヒ #ミルトンレイノルズ #レイノルズロケット ♬ Track 9 – Mix 2 – Atjazz

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