経口避妊薬でボールペンの売り上げが2倍に

ディスラプションのパターン Part 9
2023年5月11日

ラッセル・マーカーは答えを見つけるのが得意な男でした。1941年末、彼は友人の植物学者の本の中に、長い間探し求めていた答えを発見しました。メキシコヤマイモ(Dioscorea mexicana)は、メキシコ全域からパナマにかけて分布し、その大きさは数百キロにもなるとのことです。マーカーは、それをできるだけ多く手に入れる必要がありました。しかし、当時は真珠湾攻撃直後で、アメリカ当局は国外への渡航自粛を強く勧告していました。39歳のマーカーは、スペイン語も話せず、ポケットには借りた現金しかありませんでしたが、とにかくバッグに詰め込んで、メキシコのベラクルス行きのバスに1人で乗り込みました。

その13年前の1928年、ロチェスター大学(ニューヨーク州)の科学者たちは、排卵後、卵子が子宮に向かうときに小さな袋を残すことを発見し、その中で生成されるプロゲステロンという化学物質が追加の卵子の放出を抑制することがわかりました。1937年、ペンシルベニア大学の科学者たちは、ウサギにこの化学物質を注射することで、排卵(ひいては妊娠)を防ぐことができることを発見しました。しかし、バーナード・アスベルは『ザ・ピル 世界を変えた医薬品の伝記(The Pill: A Biography of the Drug that Changed the World, 未邦訳)』の中で、プロゲステロンは「研究者でも買えないほど高価だった。動物から抽出された微量なものは、世界的な競走馬の生殖能力を向上させるために買い占められた。」と述べています。

しかし、マーカーは天才的な化学者でした。ロチェスターでプロゲステロンが発見された際に、彼は「オクタン価」という概念を生み出しました。これは、現在でも自動車燃料の等級付けに使われています。ペンシルバニアでの排卵実験がおこなわれていたとき、ペンシルバニア州立大学の教授になっていた彼は、プロゲステロンを動物から抽出するのではなく、化学的に合成してみることを思いついたのです。

多くの植物の根にはサポゲニンと呼ばれる化学物質の一群が存在することが知られており、それらは化学的にはプロゲステロンに似ています。マーカーは、植物の根からその化学物質を採取し、プロゲステロンに変換することを思いつきました。しかし、どの植物がいいのか? 有望な植物の多くは根が小さく、十分な量を収穫するには大変な労力が必要です。そこで、友人の本に載っていたメキシコヤマイモという植物を見つけ、メキシコに渡り、実物を見てきました。

マーカーは、メキシコでプロゲステロンを3キログラムつくり(アスベルによれば「約24万ドルの価値」、1グラムあたり約80ドル)、1944年に2人の同僚とシンテックス社を設立しました。ミルトン・レイノルズ(米国で初めてボールペンを商業的に成功させて富を得た人物)は資金援助をしてくれました。マーカーたちは、化学物質をたくさんつくればつくるほど、もっと安くつくれるようになりました。

安価なプロゲステロンが多くの扉を開いた

アスベルの著書の中で、マーカーはプロゲステロンの価格が「1グラム80ドルから10ドル、数ヵ月後には5ドルにまで下がった」と述べています。1946年5月、マーカーはプロゲステロンの製造工程を欧州の会社に売却しました。「私はコンサルタントとして3年間在籍しました」とマーカーは振り返り、「その頃(1949年)には、プロゲステロンの価格は1グラム2ドル程度まで下がっていた」と述べています。約5年で40倍のコスト低下です。

これは、私たちが何度も見てきた「ディスラプションのパターン」の一部です。つまり、新しいハイテク製品が大量に生産されればされるほど、その製品は安くなります。新しいハイテク製品がたくさん生産されればされるほど、その製品は安くなり、安くなるにつれて、新しい用途が見つかります。

プロゲステロンが豊富に手に入るというは、関節リウマチの治療薬やケロイドの治療に使われるコルチゾンなど、化学的に類似した他のホルモンも豊富に手に入れることができることを意味します(コルチゾンはプロゲステロンからつくることができるため)。

1949年、26歳の化学者カール・ジェラッシがシンテックスに入社し、コルチゾンを合成する他の方法、エストロンやエストラジオールといった他のホルモンを合成する方法をすぐに発見しました。アスベルは、1950年代初頭には「シンテックスは欧米の製薬会社に合成ホルモンを供給する主要な企業となった」と書いています。

安いだけでなく、より良いものを

1950年、ジェラッシは、注射で投与しなければならない天然のプロゲステロンよりも優れたプロゲステロン様物質を見つけることを目標に掲げました。経口摂取が可能なものを探していたのです。ジェラッシは、数年前に発表された論文から、男性ホルモンであるテストステロンを経口摂取できるように製造したものがあることを知っていました。1951年、彼はその論文に書かれているような製法で、テストステロンの代わりにマーカーのプロゲステロンを使って、ノルエチステロンを得ました。アスベルによれば「ジェラッシの新しい物質は、口から摂取すると、天然のプロゲステロンの8倍もの力を発揮した」(つまり、ジェラッシの発見は、プロゲステロンを合成するよりも実質的に8倍安かったのです。)

シンテックスは、1963年と1964年にそれぞれ承認された2種類の製剤を製造しました。これは、ジェラッシが初めてノルエチステロンを合成してから13年後のことです。その後、数年の間に他の大手メーカーも同様の製剤を発売し、女性たちは突然、豊富な経口避妊薬の選択肢を手にすることになりました。経口避妊薬というコンセプトは非常に奥が深く、一般的には単に「ピル」と呼ばれています。アスベルは「ピルは、おそらく世界で処方されたどの薬よりも、多くの人間が日常的に飲み込んでいる」と書いています。しかし、安価で効果的な避妊法は、医療革命だけでなく、性的・社会的な革命をも引き起こそうとしていたのです。

意図せざる結果

ペニシリン、病院での出産の増加、そしてピルの登場により、1960年代初頭には、歴史上はじめて、女性は生殖に関するもっとも重要な事柄のいくつかをコントロールできるようになり、出産で亡くなることなく、望むときにだけ妊娠するようになりました。(避妊具は、1965年の最高裁判決「グリスウォルド対コネチカット事件」まで、アメリカの全州で既婚女性が利用できるものではなく、1972年の「アイゼンシュタット対ベアード事件」まで、全州で未婚女性が利用できるものではありませんでした。)

ピルは、男女同権修正条項の推進(失敗)や中絶合法化のためのロー対ウェイド最高裁裁判(一時的に成功)に重要な役割を果たしたと思われます。そして、人々が望む子供の数を劇的に変化させたのです。導入からわずか10年ほどの間に、アメリカではもっとも多くの人が「4人以上」の子供が欲しいと答えていたのが、「0~2人」と答えるようになったのです。

理想の子どもの数を「0~2人」「3人」「4人以上」と回答した人の割合(データ出典:ギャラップ

ハーバード大学の経済学教授であるクローディア・ゴールディンによると、ピルは、特に法律、ビジネス、医学などの専門分野で、女性が高等教育を受ける能力に大きな影響を及ぼしました。ゴールディンの研究によると、アメリカの医学、法学、歯学、MBAの学生に占める女性の割合は、アイゼンシュタット対ベアード判決の直前の1960年代後半には10%以下でしたが、約15年後には40%以上になりました。

つまり、1年生に占める女性の割合が増えたのは、女性が男性に取って代わったからではなく、学生の総数が増えたからなのです。米国医科大学協会(AAMC)によると、1960年から1980年にかけて、米国の医学部の1年生の数は、新卒者数と同様に2倍以上に増加しました。

しかも、それは大学院レベルだけではありません。アメリカでは1982年以降、毎年、女性に授与される学士号の数が男性に授与される数を上回っているのです。

大学1年生に占める女子専門学生の割合(データ出典:Goldin, ‘The Power of the Pill: Oral Contraceptives and Women’s Career and Marriage Decisions’. Journal of Political Economy, 2002)

つまり、ミルトン・レイノルズがボールペンで稼いだお金で避妊薬をつくり、それによってペンを欲しがる人を飛躍的に増やしたのです。

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本稿は「ディスラプションのパターン」連載の第9回です。

著者:ブラッド・リビー(Bradd Libby)RethinkX リサーチフェロー

元記事:RethinkDisruption “Oral Contraception Doubled the Sales of Ballpoint Pens (The Pattern of Disruption, Part 9)” October 25, 2022. RethinkX の許可のもと、ISEPによる翻訳

@energydemocracy.jp 経口避妊薬でボールペンの売り上げが2倍に- ディスラプションのパターン Part 9/ブラッド・リビー(2023年5月11日)- https://energy-democracy.jp/4955 #エネデモ #ディスラプションのパターン #経口避妊薬 #プロゲステロン #ラッセルマーカー #カールジェラッシ #ミルトンレイノルズ #シンテックス ♬ Warp – Blue Lab Beats

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