本稿では、6月にドイツで開催された展示会の様子から再生可能エネルギー分野の最新動向を探るとともに、そのなかで薄れていく日本の存在感とその背景を考えます。
拡大する世界の太陽光ビジネス
6月10〜12日にドイツのミュンヘンで開催された太陽光エネルギーの世界規模の展示会「インターソーラー」を訪ねました。細かい内容は、いくつかの日本からのプレス報告ですでに紹介されています。ですから、ここでは、まず全体の傾向とそれが何を示しているかについて見ていきたいと思います。
全体の規模は、やや小さくなったものの、やはり大きなメッセであることは間違いありません。7つの大きなホールに各国からの太陽光関連ブースが並んでいます。日本では、太陽光ビジネスは終わったとされ、足元のドイツではいわゆる「コリドール(Corridor)」と呼ばれる太陽光発電の導入枠、年間2.5〜3.5GWを昨年は下回る結果となり、ビジネスの縮小が喧伝されています。
しかし、展示会に先立って行われたカンファレンスでは、世界の太陽光発電の導入量がすでに180GW近くになり、5年後にはそれが3倍に急増すると言う見通しが示されました。一方で、導入コストは10年前の4分の1にまで急落しています。つまり、一部の国では、太陽光の導入が落ち着いてくるのに対して、他の多くの国ではこれから太陽光は急拡大を遂げることになります。
現代のビジネスは、マーケットを国内だけに求めていては成り立ちません。世界全体の市場を見ていかないと国際化するビジネスの中で生き残っていけないのです。日本がこれに対応できているか、そこが問題です。
FIT離れのスタート
個別のブースを回ってみました。今回の展示会の7つのホールのうち、圧倒的に存在感を示していたのが、蓄電池関係です。厳密な数字でありませんが、2つのホールは蓄電池でした。昨年の倍以上だと言います。一方パネル関係は、3つと半分近くになり、残りはパワコンとその他といった割合でした。
蓄電池については、日本だけでなく、ドイツのマスコミも今回の展示会の目玉として大きく記事として取り扱っています。中でも注目は圧倒的な安さを誇示しているアメリカのテスラ社ですが、内容に関しては、これも他のプレスで見てください。
重要なポイントは、「FIT離れ」です。ドイツではすでに発電コストが、家庭が払う電気料金の半分にまで落ちてきています。つまり、減額され続けるFITの買い取り価格で売るよりも自家消費した方がずっと得なのです。そして、無駄なく電力を自宅で使うためには、機能的、かつ安価な蓄電池が必要になります。そこで、今回のような蓄電池オンパレードになったわけです。遅れてきた日本も太陽光の買い取り価格の急激な引き下げで、ドイツにやや近い状態になりました。日本からやってきた太陽光関連業者の目的の柱の一つはそこにあったようです。
ただし、蓄電池は単独で入れても意味が無く、蓄電や消費を最も効率的に行えるようなシステムが合わせて求められます。それを考えるとまだ「コストが合う」ものはなかなか見当たらず、そこでテスラに焦点が当たりました。
薄れる日本の存在感
ブースでは、世界各地の様々な関連業者がその製品力を競っていました。ところが、特にカギとなる蓄電池では日本のメーカーのブースが見当たりません。ドイツ、アメリカなどの欧米勢はともかく、中国や韓国のメーカーも大きなスペースを取って宣伝を繰り広げています。一方、我が国はというと他のエリアでも本当に寂しい限りです。
さらに、ドイツでトップの売り上げを誇るある蓄電池システムの提供企業に、マーケットとしての日本をどう思うかと聞いてみたところ、「今のところ特に興味が無い」と返されてしまいました。昨年、世界最高の太陽光導入を果たした国の一つである日本が市場として魅力が無いと言うのです。
一方で、いくつかの蓄電池システムを提供する海外企業が、使用する蓄電池がソニー製だという事を聞いたのが唯一の救いでした。それも、ソニー製を使うことを誇りにしている様子で、正直言ってこれは嬉しく感じました。
訪れる側も同様です。アジアからの訪問者は非常に多いのですが、圧倒的に中国人、そして韓国人です。日本人を探すのがたいへん難しいといった状況でした。
これらの「減少」の原因の一つは、円安かもしれません。いくら良い製品が海外にあっても自動的に値段が上がってしまっています。一方で、輸出すればよいという事なのでしょうが、後述する日本のエネルギー政策では国内需要が喚起されません。
これらの現象の背景にあるのは何でしょうか。それが本稿のメインテーマです。日本のエネルギー政策が「ガラパゴス化」しているのではないか、という問いかけです。
エネルギーミックスの示すもの
政府の提示したエネルギーミックスに対して様々な批判がなげかけられていますし、どれもがほぼ適切な指摘だと思っています。考えなければならないのは、国内的に無理矢理つじつまを合わせても、世界の常識から離れるだけだという事です。
さらに最も重要な問題は、この決定によって大きなビジネスチャンスをどんどん失っていくという事実です。いくつもの操作結果を並べて、国内をごまかせても(実際にはごまかせていませんが)、結局、日本市場が再エネの世界市場から除外されていくことになります。それだけでなく、日本の企業の国際的な競争力をそぐことにもなります。ガラパゴス化した市場からは、決して国際的に力を持った製品(ソフトを含む)は生まれないからです。「ガラケー」と呼ばれる日本の携帯電話がどんな経緯をたどって、今のような状況になったか考えてみればよく分かるでしょう。
ガラパゴス化への論理が、エネルギーミックス決定の根拠として示されました。例えば、原発停止によって未だに年間3兆円以上の輸入超過が生まれていると正式な経産省の資料の載せていることがその一つです。何度も書いていますが、内閣府の正規の報告書には、原発の停止効果について実際は1兆円程度で、大半は円安によるものと書かれています。現実に、原発が一つも動かないのに、原油価格が下落しただけ(円高と同じ効果と考えてよい)で、輸入額は激減しています。
また「再エネが高くて不安定なので、多くを導入することが出来ない」という論理は、もはや、日本でしか通用しません。安定性については「ほぼ20%程度までの再エネの導入は、大きな追加投資を行わなくても可能である」とIEAも述べています。わずか2%しか再エネを導入していない日本が、不安定性を理由に導入を拒むのは「日本の技術力が低い」と宣伝しているようなものです。
また、価格についてもベースの考え方が違っています。価格について、現在の数字だけで判断する民間企業はありません。将来どうなるか、上がるのか下がるのか、など時間軸も含めて計算されなくてはなりません。懸命に原子力の現在のコストを計算上で下げることに何の意味があるのでしょうか。FITの導入の最大の目的は、大量生産でコストを下げ、エネルギー価格を下げることにあったはずです。それが「現在高いから入れない」というのでは、論理矛盾に他なりません。
再エネの発電コストは、一部の国ですでに急激に下がり、化石燃料を下回っています。一方、原発のコストは、アメリカやフランスで新規の建設が出来なかったり、中止されたりするほど上昇しています。最終処分などを考えれば、もう将来はありません。
失われるビジネスチャンス
ガラパゴス化したエネルギー政策は、直接的に民間のビジネスチャンスを奪います。アメリカも欧州も原発を作らなくなっているという話しをすると、必ず中国が100以上の原発を作るからなどという人々がいますが、中国のエネルギー政策は圧倒的に再エネに振れています。
元外務省欧亜局長の西村六善氏によれば、「中国の国家発展改革委員会(NDRC)に属するエネルギー研究所(RIE)と能源基金会は、2015年4月米国ワシントンDCで革新的なビジョンを発表した。中国は今後、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの強力な導入を図り、2030年には電力の53%を再エネにし、2050年にはエネルギーの60%、電力の85%を再エネで賄う」という計画だといいます[1]。
日本が小手先の情報操作でせっせと「ガラパゴス化」を進めているうちに、世界は何歩も先に行ってしまうことになります。「ガラパゴス化」は、日本が世界市場から自ら退こうとしていることなのです。
失われる地域活性化のチャンス
地方の疲弊は極限に達しています。人口10万人を超える地方の中核都市でさえ、シャッター通りを抱えて、あえいでいます。そんな中、再エネに、まさに地域再生のチャンスをかけようとしている地域がたくさんあります。
エネ庁の再エネ関連の助成金に多くの地域が応募をしています。すでに、再エネによる地域活性化の先達であるドイツなどは、再エネの導入(関連して、エネルギーの効率化や地域内での起業など)によって、経済活性化を果たし、人口増加に結び付けている実績を多く持っています。
私たちは、今、せっかくのチャンスをつかみかけています。多くの芽が固い地表を破り始めました。最初はFITという制度、そして、熱を含む再エネの利用が、その種をまきました。今必要なのは、芽を育てる水と肥料です。
芽を摘むのか、育てるのか、必ずしも鍵を握るのは、政府の政策だけではありませんが、地域活性化の邪魔をする政府は必要ありません。
参考
[1] 西村六善「再生可能エネルギーで脱炭素文明を目指すビジョン競争が始まった」Energy Democracy(2015年6月19日)日本再生可能エネルギー総合研究所 メールマガジン「再生エネ総研」第57号(2015年6月13日配信)より改稿