本連載では、これからの10年を「バッテリー・ディケイド」(蓄電池の10年)と呼び、EVを含む蓄電池とその周辺にある領域の歴史や技術、資源、地政学、市場などの幅広いトピックスを取り上げ、バッテリー・ディケイド時代に知るべき「新しい蓄電池の教養」を眺めながら解説してゆく。なお、本稿では特に明記しない場合、蓄電池(バッテリー)はリチウムイオンを指す。
前回は、固体蓄電池という高密度化技術で一発逆転を狙う日本勢に対し、低密度ながら低コストかつ高い安全性を持つLFP(リン酸鉄リチウム)電池で蓄電池市場を支配しつつある中国勢という「蓄電池戦争」の構図が、かつて日本の半導体産業が「高性能・高品質」を追求しすぎた結果、低コスト・大量生産に適応できず、携帯電話やスマートフォン市場で敗れた構図と似ていることに触れた。
今回は、そのLFPを巡る小史について述べておきたい。
1996年:LFPの発明
1980年、のちに「リチウムイオン電池の父」と称され、2019年に吉野彰氏とノーベル化学賞を共同受賞した米国テキサス大学オースティン校のジョン・B・グッドイナフ教授らが、リチウムコバルト酸化物(LiCoO₂、LCO)を正極(カソード)材料として発見した。これをもとに、1991年にはソニーが世界初の商用リチウムイオン電池を発売した。
その後、コバルトが高コストかつ資源制約のある元素であることから、代替正極材料の研究が進められた。1996年には、グッドイナフ教授の研究チームが、リン酸鉄リチウム(LiFePO₄、LFP)の正極特性を報告した。LFPは、安価で非毒性、さらに熱的に安定した正極材料として注目され、理論容量は約170mAh/gと、当時主流であったLCOに匹敵する性能を示した。

1999年:NCAの登場
一方、日本ではリチウムニッケル酸化物(LiNiO₂)の高容量を安定化させるためのドーピング研究が進められた。大阪市立大学の大須賀務教授らは、ニッケル酸化物に少量のコバルトとアルミニウムを添加することで結晶の安定性を向上させる手法を開発し、1990年代末にはニッケル・コバルト・アルミニウム酸リチウム(NCA)正極を実現した。
NCAは、リチウムイオン電池の正極材料として1999年ごろに実用化された。実用容量は180〜200mAh/g程度と高く、高エネルギー密度を実現できた一方で、ニッケル含有率が高いため、熱安定性や安全性に課題があった。このNCA正極の量産技術は三井住友金属鉱山とパナソニックによって確立され、パナソニックはノートパソコン向けの円筒型電池にNCAを採用した。
2000年代後半には、パナソニック製のNCA電池がテスラ社の電気自動車(EV)に採用され、テスラ・ロードスター(2008年)やモデルS(2012年以降)における高エネルギー密度電池として広く知られるようになった。現在でも、NCAはパナソニックとテスラの協業で使用されており、日本の住友金属鉱山がその正極材(正極粉末)を供給している。
2000年代初頭:NMCの開発
コバルトに代わる元素を組み合わせた正極材料として、ニッケル・マンガン・コバルトの三元系(NMC)正極が、2000年前後に相次いで報告された。1999年には、シンガポール材料研究院のZhaolin Liu 教授らが、リチウム過剰型のNMC材料をはじめて報告した。その後、2001年前後には、米国アルゴンヌ国立研究所、カナダのダルハウジー大学、ニュージーランドの Pacific Lithium社、そして大阪市立大学の大須賀教授らが、それぞれ独立にNMC材料を開発している。
特に、アルゴンヌ研究所のチームが2004年に取得した基本特許は、画期的な正極技術として認められ、GM、LG化学、BASF、戸田工業など、世界各国のメーカーにライセンス供与された。
NMC正極は、ニッケルとマンガンの相補効果により、高容量と安定性の両立が可能であり、2000年代後半以降、多くの自動車メーカーのEV電池に採用された。2010年代初頭には、シボレー・ボルトや日産リーフにNMC系電池が搭載され、その後はBMWやVWをはじめ、欧米および中国のEVにおいて主流となった。
LFP商用化への道のり
グッドイナフ教授らは、1996年に発見・提案したLFPの基本特許を出願し、米国および各国で特許化されたことで、その後の開発の基盤が築かれた。LFPが直面した最大の課題は、電気伝導性の低さであった。
この課題に対し、特にフランスのミシェル・アルマン博士が、ハイドロ・ケベックおよびモントリオール大学のチームと連携し、LFP粒子の表面を導電性炭素で被覆する技術を開発することで、性能を飛躍的に向上させた。こうした改良技術も特許で保護され、LFPの基本特許とともに、複数の機関・企業が関連知的財産を保有する体制が構築された。
主要な基本特許保有者には、フランス国立科学研究センター(CNRS)、ハイドロ・ケベック、モントリオール大学、そして後にカナダの Phostech社を買収した英国企業ジョンソン・マッセイ社などがある。
2003年には、ハイドロ・ケベックとモントリオール大学が Phostech社に世界初のLFP製造ライセンスを供与し、本格的な商用生産への第一歩が踏み出された。しかし当初、北米や欧州の投資家は新規正極材料の事業化に慎重であり、Phostech社の設備投資も小規模にとどまった。
一方、米国ではマサチューセッツ工科大学(MIT)のイエット・ミン・チャン教授のグループが、LFPへの金属カチオンのドーピング手法を提案し、これをもとにスピンオフ企業A123システムズが2001年に設立されるなど、LFPの実用化に向けた動きがはじまった。
ただし、A123をはじめとする欧米企業は、特許ライセンス料の負担が大きかったため、LFP電池ビジネスの拡大は限定的にとどまった。
中国でのLFP採用と独占的発展
中国が現在のようなLFPの事実上の独占状態を築いた背景には、国際的な特許の取り扱いが大きく関係している。LFPの基本特許を保有するコンソーシアム(CNRS、ハイドロ・ケベック、ジョンソンマッセイ、モントリオール大学)は、中国市場に限定して、同国内で製造・販売を行う企業に対してライセンス料を請求しないという方針を採った。
この背景には、中国市場においてLFPの普及を促進するという戦略的判断と、中国における特許法の執行が現実的に困難であったことがあると考えられる。その結果、中国の電池メーカーは、国内市場向けにLFP電池を自由に開発・生産できる環境を得るに至った。
2008年の北京オリンピックでは、LFP電池を搭載した電気バスが実用運行され、その高い安全性を実証したことで、政府当局や業界関係者の注目を集めた。この頃から、BYDやCATL(寧徳時代)といった中国企業がLFP電池への大規模な投資を開始し、2000年代後半から2010年代前半にかけて、中国国内でのLFP生産能力は飛躍的に拡大した。
とりわけ、BYDは乗用車やバス向けにいち早くLFP電池を採用し、CATLもバスおよびエネルギー貯蔵市場での経験を経て、乗用車向けのLFPセルの量産に踏み切った。こうした中国企業の台頭により、LFP正極材料の生産は次第に中国が事実上独占する状況となった。
2020年頃には、世界のLFP生産の大半をBYDやCATLといった中国企業が担うようになり、中国以外のメーカーは、特許の制約などもあって、きわめて小さなシェアにとどまる状況となった。
特許期限切れとLFPの世界的再評価
基本特許群の出願から20年が経過し、2010年代後半から2022年にかけて、LFP関連特許が相次いで期限切れを迎えた。これにより、中国以外の企業もライセンス料を気にせずLFP製造に参入できるようになり、LFPの世界的普及が加速している。

たとえば、テスラ社は2021年に、標準航続モデルの車両電池を従来のNCA/NMCからLFPに切り替えており、欧米でもLFPの採用が拡大しはじめた。また、中国メーカーも特許期限切れを受けて海外市場への供給を積極化しており、CATLやGotionなどが欧米にLFP材料工場を建設する計画を打ち出している。
このように、LFPは発明から四半世紀を経て再評価され、NMCと並ぶ主要正極材として位置づけられるようになった。さらには、今後の正極材市場において、一気に主役に躍り出つつある。特許戦略と各国企業の判断が、LFPの普及時期と地理的偏在を大きく左右したという歴史的経緯を踏まえると、LFPの歩みはリチウムイオン電池史の中でも特に興味深い事例と言えるだろう。
前回でも指摘したとおり、日本の近代産業史として見ると、かつては世界をリードしていた蓄電池産業が現在は劣後しつつある状況は、半導体産業における「敗戦」と共通する要素がある。CATLやBYDが、前述の国際特許の恩恵を得て、LFPという低エネルギー密度ながら低コスト・高安全性の正極材を武器に蓄電池市場を支配しつつある一方で、パナソニックは三元系や固体電池といった高エネルギー密度化にこだわり、急成長の波に乗り遅れた。
この状況は、かつて日本の半導体産業が「高性能・高品質」を追求しすぎた結果、低コスト・大量生産への対応が遅れ、携帯電話やスマートフォン市場で敗北を喫した構図と酷似している。
@energydemocracy.jp 🔋 LFPリチウムイオン電池の歴史 🔍 • 1996年、グッドイナフ教授らが LFP (リン酸鉄リチウム) 正極材料を発明 💡 • 2000年代、中国企業がLFP電池の大規模生産に乗り出し、事実上の独占状態に 🇨🇳 • 2010年代後半〜2022年、LFP関連特許が期限切れ ⏰ これにより、中国以外の企業もLFP製造に参入可能に 🌍 • 現在、LFPは NMC と並ぶ主要正極材として再評価されつつある 📈 日本の蓄電池産業が「高性能」にこだわりすぎた教訓にも注目 🇯🇵 #LFP #リチウムイオン電池 #バッテリー #テクノロジー #歴史 #中国 #日本 ♬ オリジナル楽曲 – Energy Democracy JP