英国政府に助言し、その対応を法的に義務づける独立機関「気候変動委員会」。科学者として委員長を務めたピアーズ・フォースターは、政権交代やネットゼロへの疑義が渦巻く中でも、エビデンスに基づく政策形成の筋道を語る1本稿は、Science 誌を発行する米国科学振興協会(AAAS)のWeb媒体である ScienceInsider に2025年7月23日付で掲載されたインタビュー記事を、原著者の許可を得て日本語翻訳したものです。。

多くの科学者にとって、政治家と直接対話し政策形成に関与することは、単に夢を見るようなものであるが、リーズ大学の気候科学者ピアーズ・フォースターにとっての過去2年間は、これは現実のものであった。彼は2023年 から英国・気候変動委員会2 訳注:Climate Change Committee(CCC)。英国の「気候変動法」2008年改正時によって設立された非政府公共組織(NDPB: non-departmental public body)。NDPBは、政府省庁からほぼ独立して業務を遂行するが、議会を通じて国民に説明責任を負っている政府省庁に属さない公共組織として定められる英国特有の組織で、他に英国放送協会(BBC)などがある。の暫定委員長を務めたが、この独立機関は、英国政府に対して気候政策を助言し、政府が遅れを取った際には責任を追及する役割を担っている。
科学者として気候変動委員会初の委員長として、フォースター氏は英国の政策形成に重要な役割を果たした。これは2019年に法制化された「2050年までに温室効果ガス排出量ネットゼロ3訳注:日本の「カーボンニュートラル」にほぼ相当。英語圏では、政策目標の文脈では Carbon Neutral はあまり用いられず、むしろNet Zeroの方が一般的に使われる。を達成する」という目標に向けた、英国の取り組みにおける転換点であった。政府は気候変動委員会の年次進捗報告書や排出削減目標を明記した5年ごとの「カーボンバジェット」4訳注:地球温暖化を特定のレベル(例えば産業革命前比で1.5℃または2℃)に抑えつつ、人類の活動によって依然として排出可能な二酸化炭素(CO2)の総正味量(気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による説明)。炭素予算とも訳される。
英国では、カーボンバジェットは、英国が5年間に排出できる温室効果ガスの総量に制限を設けるものとして定められている。英国は法的拘束力のあるカーボンバジェットを設定した最初の国である。
に対して法的に対応する義務を負っている。
フォースター氏は現在、委員長を退任しているが、委員としての地位は継続している。後任には国連の気候変動関連の職歴を持つ実業家ナイジェル・トッピング氏が就任する。この交代を前に、また、英国が今夏3度目の熱波に見舞われる中、フォースター氏は ScienceInsider に対して、激動の政治状況下におけるネットゼロ達成に向けた取り組みについて語ってくれた(インタビューは明瞭さと長さを考慮して編集されている)。
Q: 気候変動委員会は独特な機関です。その仕組みと特徴を教えて下さい。
A: 気候政策を助言する委員会は他の国にも存在します。しかし、法律に組み込まれたこのような機関は他に類を見ないと思います。政府は我々の助言に対応する義務があり、引き出しにしまい込んで忘れることはできません。政府は我々の助言を受け入れるか、受け入れない場合はその理由を議会に説明しなければなりません。
我々は全ての情報を公開しています。これは他の研究者にとっての資源であると同時に、これがあることで人々が我々を正すことも可能になります。この種の作業は、多くの国では政府内部で完全に非公開で行われています。他の国々にも、自国のネットゼロ目標達成への道筋を可視化し、国民が理解できるようにして欲しいと思います。そうすることで、コストや選択肢に関する政治的議論がより情報に基づいたものになるでしょう。
Q: 政府の最高レベルで助言を行うことは、現役の科学者としてどのような経験でしたか?
A: 非常に楽しく、チャレンジングで(やりがいがあり)、興味深く、考えさせられるものでした。気候変動委員会の成功は、法的な権限による部分もありますが、その構成にも起因しています。我々は気候変動だけでなく、ビジネス、社会科学、経済学、政治学に亘る専門知識を有しているからです。過去には政治家が主導する中で、エビデンス(根拠)が政治的に色付けされて提示されることがありました。科学者として私は、政策を規定することをせずエビデンスを提示するよう努めています。例えば「航空機排出量の増加を抑制する政策が必要だ」と述べる一方で、特定の税制を押し付けるようなことはしません。
Q:あなたの気候変動委員会での任期は、スナク氏率いる前の保守党政権と、再生可能エネルギーとグリーン産業の促進を計画している現在の労働党政権という、2つの全く異なる政権にまたがっています5訳注:英国では2024年7月の下院総選挙により、労働党が単独過半数を獲得し、それまで政権与党であった保守党が敗れ、14年ぶりに政権交代となった。。それをどのように感じていましたか?
A:私が最初に対処しなければならなかったことのひとつは、スナク政権がネットゼロ政策の一部6原著者注:新車におけるガソリン車およびディーゼル車の販売禁止案の2030 年から 2035 年への延期、賃貸住宅のエネルギー効率目標の廃止などを撤回することを決定したときでした。それは私にとって大きな試練でした。この変更によって目標の達成がより困難になることを示す信頼性の高い分析結果をまとめるまでに若干時間がかかりました。私は、両政府を、政治的な発言内容にかかわらず客観的に扱い、良好な協力関係を築くよう努めています。今は協力的な政府と仕事ができ、素晴らしいことですが、彼らも依然として全く同じ政治的課題に直面しています。ネットゼロやクリーンエネルギーはコストがかかりすぎる、というポピュリズム的な議論があります。その点に対してエビデンスを示すことが重要です。
Q: 気候行動トラッカー7訳注:ドイツに本拠を置く国際的な独立非営利組織(NPO)である Climate Analytics および NewClimate が運営する独立系科学プロジェクトであり、各国政府の気候変動対策を監視・評価している。 は、パリ協定の目標である気温上昇を1.5℃に抑えるために、英国の気候目標と政策が不十分であると依然評価しています。これは気候変動委員会の結論とどのように整合するのでしょうか?
A: 意見は収束しつつあると思います。英国では排出量を50%以上削減しました。現在の目標からはオフトラックになって(外れて)いますが、大きく外れているわけではありません8訳注:例えば、英国政府の現時点での目標(2030年までに電源構成に占める再生可能エネルギーの比率が77〜82%)に対して、オフトラックの可能性を指摘する民間報告書も公表されている。ただし、その場合でも2030年の英国の再エネ比率は73%程度になると推計されている。。気候変動委員会の報告書では、適切な政策があれば目標達成の可能性はまだあることが述べられています。目標値9原著者注:2035年までに排出量を81%削減が十分であるかどうかについては議論の余地があります。しかし、世界が目標を達成していない状況で、自国の目標をより意欲的にしようとすることよりも、こうした意欲的な目標が実際に達成可能であることを我々は世界に示そうとしています。
Q: 2017年に米国トランプ米大統領がパリ協定から離脱した際、あなたは「根拠に基づく政策にとって悲しい日だ」と述べ、市民・企業・州が脱炭素化の取り組みを継続することを望むと語りました。現在、新たなトランプ政権下で米国は気候変動対策において再び方針転換を図っています。それでもなお、地域レベルでの行動に希望はあるとお考えですか?
A: エネルギー転換は、トランプ氏が好むと好まざるとにかかわらず、すでに進行中です。クリーン技術は化石燃料技術よりも効率的で安価です。したがって、転換は時間の問題に過ぎないと私は考えています。また、我々が直面している異常気象については、誰が政権を担うのであれ、適応策の必要性が消滅することはありません。科学を隠しておくことはできないのです。
Q: トランプ政権による気候変動関連資金の削減は、国際的な気候科学者の活動にどのような影響を与えていますか?
A: 米国には素晴らしい科学の環境があります。気候変動とその原因を理解する基礎となるデータセットを数多く生み出しています。こうした研究がなければ、地球規模の社会として適切な対応策を講じることに我々は十分に理解することができず、最終的に社会や経済に甚大な被害をもたらすのではないかと強く懸念しています。
Q: あなたはジオエンジニアリング10訳注:気候変動の影響を軽減する目的で意図的に気候システムを改変する手法と技術の総称(気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による定義)。気候工学とも訳される。の有効性について懐疑的な見解を示していますが、英国はこの分野への資金投入を増やしています。この研究に資金を投じる価値があるとお考えですか、それともその資金を他の用途に充てるべきだとお考えですか?
A: 研究する価値はあると思いますが、緩和策や適応策11訳注:気候変動対策における緩和策とは、温室効果ガスの排出を削減することであり、再生可能エネルギーの導入やエネルギー効率化(省エネルギー)などが挙げられる。適応策とは、今後予測される気候変動による被害を最小限に抑えることであり、例えば自然災害に対するインフラ対策や農業の気候変動対策などが挙げられるの研究を軽視すべきではありません。誰かがそれを実施し始めた場合、それを監視し、その影響を把握できる状態にしなければならない、ということを我々は理解しておく必要があります。また最も重要なのは、この研究がパブリックドメイン(公共領域)であり続けるように努めることだと私は考えています。なぜなら、ジオエンジニアリングに関する多くの研究が民間資本で行われているからです。
Q: 吃音のある気候科学者として、あなたは「吃音」よりも「科学者としての業績」で認知されたいと述べると同時に、メディアに対して吃音者の声が不可欠とも語っています。専門性や実績に焦点を当てることと、こうした表現のバランスをどのように考えていますか?
A: はい、私は吃音者です。非常に支援に恵まれた環境の中で、多くの成果を上げることができ、本当に楽しくやりがいのあるキャリアでした。しかし、他の吃音者の方が吃音のために自身のキャリア形成が狭まっていると感じているという話を聞くと、とても気に病みます。もし人々が私の仕事ぶりを見て「ああ、自分もそういうふうにできるかもしれない」と思ってくれるなら、それは私にとって嬉しいことです。
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元記事:Cathleen O’Grady “This scientist advises the U.K. government on climate policy—and it has to hear him out” ScienceInsider, July 23, 2025. 原著者許可のもと、安田陽による翻訳
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- 1本稿は、Science 誌を発行する米国科学振興協会(AAAS)のWeb媒体である ScienceInsider に2025年7月23日付で掲載されたインタビュー記事を、原著者の許可を得て日本語翻訳したものです。
- 2訳注:Climate Change Committee(CCC)。英国の「気候変動法」2008年改正時によって設立された非政府公共組織(NDPB: non-departmental public body)。NDPBは、政府省庁からほぼ独立して業務を遂行するが、議会を通じて国民に説明責任を負っている政府省庁に属さない公共組織として定められる英国特有の組織で、他に英国放送協会(BBC)などがある。
- 3訳注:日本の「カーボンニュートラル」にほぼ相当。英語圏では、政策目標の文脈では Carbon Neutral はあまり用いられず、むしろNet Zeroの方が一般的に使われる。
- 4訳注:地球温暖化を特定のレベル(例えば産業革命前比で1.5℃または2℃)に抑えつつ、人類の活動によって依然として排出可能な二酸化炭素(CO2)の総正味量(気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による説明)。炭素予算とも訳される。
英国では、カーボンバジェットは、英国が5年間に排出できる温室効果ガスの総量に制限を設けるものとして定められている。英国は法的拘束力のあるカーボンバジェットを設定した最初の国である。
- 5訳注:英国では2024年7月の下院総選挙により、労働党が単独過半数を獲得し、それまで政権与党であった保守党が敗れ、14年ぶりに政権交代となった。
- 6原著者注:新車におけるガソリン車およびディーゼル車の販売禁止案の2030 年から 2035 年への延期、賃貸住宅のエネルギー効率目標の廃止など
- 7訳注:ドイツに本拠を置く国際的な独立非営利組織(NPO)である Climate Analytics および NewClimate が運営する独立系科学プロジェクトであり、各国政府の気候変動対策を監視・評価している。
- 8訳注:例えば、英国政府の現時点での目標(2030年までに電源構成に占める再生可能エネルギーの比率が77〜82%)に対して、オフトラックの可能性を指摘する民間報告書も公表されている。ただし、その場合でも2030年の英国の再エネ比率は73%程度になると推計されている。
- 9原著者注:2035年までに排出量を81%削減
- 10訳注:気候変動の影響を軽減する目的で意図的に気候システムを改変する手法と技術の総称(気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による定義)。気候工学とも訳される。
- 11訳注:気候変動対策における緩和策とは、温室効果ガスの排出を削減することであり、再生可能エネルギーの導入やエネルギー効率化(省エネルギー)などが挙げられる。適応策とは、今後予測される気候変動による被害を最小限に抑えることであり、例えば自然災害に対するインフラ対策や農業の気候変動対策などが挙げられる