6月1日、トランプ大統領はパリ協定からの離脱を世界に発表した。なぜこうなったのか?パリ協定は今後どうなるのか?
トランプ大統領:科学を無視し、雇用と成長を重視
周知のとおり、トランプ氏は選挙期間中からパリ協定をキャンセルすると言っていた。温暖化の危険を示す科学の警告はまったく眼中になかった。エネルギーの完全な自給自足を追求し、キーストンXL原油パイプライン建設を支持し、洋上や北極海域、国内の公有地での石油等の掘削を推進する。オバマ政権の中心的エネルギー転換政策である「クリーン・パワー計画」を廃止して、環境規制を撤廃し、エネルギー部門での生産と雇用を増やす。基本的にこういう考えであった。
特に石炭再生にかける執念は非常に強かった。貧困な産炭地域の白人労働者たちが自分の重要な支持層だと考え、「彼らを救済する」と選挙運動中強く公約した。これらの公約を実行するには、パリ協定は邪魔だ。だから今回離脱し、自由なエネルギー政策を実行する。
保守の指導者は、このようなトランプ大統領の環境否定政策を概ね支持した。上下両院の指導層、有力議員、一部業界、温暖化の科学を否定する研究者たちはトランプ大統領の環境政策を支持した。American Energy Alliance(AEA)などはその典型だ。ヘリテージ財団やCompetitive Enterprise Institute (CEI) のマイロン・エーベルなどの論客が離脱論を展開した。マコーネル上院院内総務を含む22人の上院議員の連名の手紙がトランプ大統領の意思を決定づけたという報道もある。ペンス副大統領、セッションズ法務長官、バノン・ホワイトハウス戦略補佐官もパリ協定には強く反対していた。
いずれも虚偽か薄弱な理由
しかし、トランプ大統領やプルイット長官らが行った理由づけの多くは虚偽であるか、薄弱な議論だ。同大統領によれば「パリ協定はせいぜいごくわずかな温度上昇を抑える効果しかないのに、米国は環境規制を強化しなければならない。それは自由なエネルギー投資を抑制し、数百万の雇用を失い、米国経済を弱体化する」と言い張った。しかし、米国の多数の専門家が直ちに事実検証を行い、その多くはまったく事実に反する主張だと断定した[1]。
[1] 下記の通り、専門家による事実検証が行われている。
- Will Trump’s Paris agreement exit spur job growth? Irina Ivanova, CBS MoneyWatch, June 2, 2017.
- 5 claims Trump used to justify pulling the US out of the Paris Agreement — and the reality. Dana Varinsky, Dave Mosher and Ariel Schwartz, Business Insider, June 1, 2017.
- Trump on the Paris Agreement. Vanessa Schipani, FactCheck.org, Posted on May 5, 2017, Corrected on June 7, 2017
- Fact-checking President Trump’s claims on the Paris climate change deal. Glenn Kessler and Michelle Ye Hee Lee, The Washington Post, June 1, 2017.
さらに、有力なエネルギー問題専門サイトである「Energy Collective」はこのような一方的な議論はNational Economic Research Associates(NERA)という団体に由来すると論じている。この報道によると、NERAはかねてから「温暖化防止行動は非常に高価だ」と作為的な宣伝をしてきた。NERAを背後で支援しているのは全米商工会議所(US Chamber of Commerce)と全米資本形成理事会(American Council for Capital Formation)であり、さらに、これらの団体を化石燃料企業グループが資金援助をしていると説明している[2]。
[2] Paris Agreement: President Trump’s Mystery Math. EDF Climate 411, The Energy Collective, June 9, 2017.
トランプ大統領のもう一つの主張は、「パリ協定は不公平だ」というものだ。「協定は中国やインドに有利にできている。それに彼らは約束を守っていない。今後は、長く国際官僚に牛耳られ、しかも5年ごとにより重たい削減誓約を迫られる」と言う。100億ドルの気候変動基金に米国が30億ドルも支払うのは米国の富を途上国に移転するものだ、などと論じている。
しかし、いずれも間違っているか、一方的か、誇張している。元々パリ協定では、短期の削減量は自己申告制だからどこの国も加重な義務を負っていない。制度上、不公平だと言われる根拠はない。ハーバード大学で長くこの問題を研究してきたスタビンス教授は「パリ協定では中国やインドなどが米国と同じ土俵で行動している。これは米国が党派を超えて過去20年間一貫して要求してきたことだ。協定は本質的に公平だ(eminently fair)」。と論じている[3]。
[3] The economics (and politics) of Trump’s Paris withdrawal. Robert Stavins, PBS, June 6, 2017.
さらに、驚くべきことに、アメリカの有力大企業25社が共同でニューヨーク・タイムズ紙とウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載した全紙面広告では「パリ協定での主要国の削減負担は公平であり、残留する方が米国の雇用を増やし、企業の競争力を強化する」と論じた。
トランプ大統領の石炭への執念の理由
まず、トランプ大統領の石炭産業復活への執念が大きな混乱を生んだ。昨年の大統領選挙において、僅差で勝利したペンシルベニア州とオハイオ州は伝統的な石炭産出州だ。この2州とウィスコンシン州で負けていればトランプ大統領は実現しなかった。だから誰が何と言おうと石炭復活の公約はトランプ大統領の生命線なのだ。パリ協定離脱と石炭産業を規制するクリーン・パワー計画などの国内制度の撤廃は当然の帰結だ。
しかし、ここに大きな矛盾がある。石炭に将来がないことは誰の目にも明白だからだ。石炭は安価な天然ガスと再エネとの競争に敗退した。その上、掘削技術の進歩の結果、多くの雇用は不要になった。国内の種々の規制を取り払ったとしても復活できる見通しはない。
こういう展望を背景にして、石炭業界自身は意見が割れていた。有力な石炭企業であるArch Coal, Cloud Peak Energy, Peabodyなどは、トランプ大統領がクリーン化技術への補助金支援を行うことを条件にパリ協定残留に反対しないと表明した。
一方、Murray社やその他の企業は離脱を主張した。パリ協定は石炭産業を更に弱体化するという危惧からだ。
6月6日発表された米国エネルギー情報局の予測では、米国石炭の国内生産も消費も近い将来横這いだとしている。石炭の増産を米国政府自身が予見していないのだ。
国内の残留支持派も強力だった…
もちろん、国内にはパリ協定残留を要求する声は非常に大きかった。閣僚内ではティラーソン国務長官、マティス国防長官、ペリー・エネルギー長官らは残留支持派であった。イバンカ夫人、クシュナー顧問、コーン経済顧問なども残留派だった。エクソン社のダーレン・ウッズ社長はトランプ大統領に親書まで送って残留を求めた。
最近のピュー・センターの調査では、国民の70%はパリ協定を支持していた(図)。さらに成人の89%は太陽光を支持し、83%は風力を支持していた。一方、50%以上の国民は、洋上石油開発、原発、フラッキング、石炭などに反対していた[4]。
[4] Growing Support in US for Some Climate Change Action. Dina Smeltz, Craig Kafura and Kelhan Martin, The Chicago Council on Global Affairs, November 21, 2016.
それに、トランプ大統領の支持層である保守系のアメリカ人も相当多数パリ協定残留を支持していた[5]。エール大学などの機関が行った調査によると、トランプ支持者のうち、47%は残留支持、28%が脱退支持、25%が意見不明であった。
[5] Trump is leaving Paris climate agreement even though majority of Americans in every state supported it. Todd Haselton, CNBC, June 1, 2017.
さらに、米国ビジネスの残留支持は圧倒的だった。 PG&E, National Gridなどの電力大手、Chevron, ConocoPhillips, Exxon-Mobil, BP, Shellなどの石油大手、General Motors, General Electric などの製造業大手が支持した。Arch Coal, Cloud Peak Energy, Peabody Energy などの石炭大手も支持にまわった。さらに、これとは別に1,000以上の有名企業が支持を表明した。ここにリストがあるが、実に印象的な団結力だ。これらの企業は低炭素米国を支持するだけでなく驚くべきことに、パリ協定を脱退しても2℃目標を実現するため自分たちで行動すると誓約している。
ビジネスがパリ協定を支持するのは当然だ。この協定が長期のビジネス展望を開くからだ。大統領が変わるたびに方針が変わっていては国際競争に負ける。明白な長期目標が定まってこそ、長期の投資が可能になる。しかも、パリ協定は最新の革新技術を推進する機関車的存在だ。2050年を目指して脱炭素を実現しようとする文明史的な協定だ。これを否定することはアメリカの産業立国を否定し、技術立国を否定する自殺行為だ…。
米国の各州も自治体も残留を求める全国的な運動を展開した。全米71の都市(総人口4千万人)が残留を訴えた。15の州は脱退なら連邦政府を訴追すると決めた。50州のうち34州がすでに排出削減への行動計画をもっていて、連邦政府の支持なしでも低炭素化をすると宣言した。27の都市は2035年までに100%再エネ化するという目標を持っている。
国際的な残留要求
一方、全世界が一丸となって残留を求めた。すべての国の政府と市民団体、研究機関、言論指導者はそれを要求した。先進国はもちろん、途上国がその窮状を訴えてトランプ大統領に要求した。直前のシチリア島でのG7ではメルケル首相などが一致して要求した。ローマ法王も同じだった。ここでも挑発的ではない柔らかな説得が行われた。さらに、世界の機関投資家グループも書簡を送った。石油大手をはじめとする経済界の重要な指導者がこぞって支持した。シェルもエクソンも明白にパリ協定残留を要求した。シェルは化石燃料を再エネに転換することすらコミットしている。
メルケル首相はトランプ説得に世界が団結するよう提案し、残留は米国の経済的利益だとして最新のOECD報告書を引用して論じたと報じられている。
このOECD報告書「Investing in Climate, Investing in Growth」では、パリ協定に基づくエネルギー転換はG20諸国のGDPアウトプットを2021年時点では現行政策の継続よりも1%、2050年時点では2.8%引き上げるとしている。さらに、洪水や異常気象を回避するための諸投資を加算したら合計で5%近いGDPアウトプットの増加になるとしている。
つまり、温暖化防止投資や脱炭素投資は、成長の妨げになるのではなく、むしろ逆で成長を促進する材料だというわけだ。
間違った政策とその深刻な影響
トランプ大統領は、このようなアメリカ国内と世界全体からの強い要求を苦もなく一蹴した。パリ協定残留を望む米国ビジネス界の多数の大立者、世界的な政治指導者に耳を傾ける姿勢は皆無だった。そして、世界的なビジネス・リーダーたちの顔をぶん殴るような仕打ちをした。
その結果、アメリカは世界全体を敵にまわし、孤立した。米国の歴史上でも稀な事態が起きたのだ。アメリカの国際的信用は失墜した。戦後、長年にわたり世界の平和や発展に貢献し、圧倒的なリーダーシップをとってきた国は、地球環境をクリーンにして次世代に渡そうとする人類的連帯から退却すると宣言したのだ。
パリ協定を脱退しても石炭産業の再興はないし、貧困白人層は決して救済されないだろう。その上、温暖化防止の国際協調を破壊した。健全な経済判断を無視し、科学を無視した点で二重に罪が重い決定だ。
困窮に喘ぐ炭鉱労働者の雇用回復を問題にするなら、再エネを振興した方がよほど賢明だ。再エネとその関連分野での雇用は約300万人の規模で、年20%の規模で増大している。経済全体の雇用増の12倍の速さだ[6]。しかも、それはいわゆる高給職だ。一方、石炭労働者はわずか7万人だ。彼らを再エネ産業で就業できるように再訓練してもそう大したコストではない。
[6] Trump’s executive order on energy independence, explained. Nathan Hultman, Brookings, March 28, 2017. および Paris Isn’t Burning – Why the Climate Agreement Will Survive Trump. Brian Deese, Foreign Affairs, July/August issue, 2017.
もう一つの間違いは、バノン補佐官が主張する反グローバリズムの虚言にトランプ大統領が乗ったことだ。彼は「自分はピッツバーグ市民から選ばれたのであり、パリ市民から選ばれたのではない」と言ったが、アメリカ第一主義、グローバリズム否定、すべての他人を軽視する傲慢さを物語っている。また、パリ協定に基づく気候変動基金への拠出もしないと述べた。
トランプ大統領の内面では、市場や経済の実態がどうであれ、「グローバリズム反対」という普遍性のない戦闘的イデオロギーが勝っているのだ。これは非常に危険な傾向だ。そもそも、貿易の自由化、グローバル化はどの国にも大きな利益をもたらすので世界中がそれを進めているが、グローバル化で敗者が生まれるのも現実だ。多くの国は敗者に対してセーフティー・ネットや職業訓練などの形で「国内社会政策」を提供し、グローバル化を維持している。社会政策のコストを払ってもグローバリズムの便益が遥かに大きいからだ。
地球環境を守るという新しいグローバリズムにおいても同様に「国内社会政策」を実施するべきものだ。トランプ大統領は自国の労働者保護は地球環境の維持よりも優先度が高いのでパリ協定を脱退するという。どの国でもやっている「国内社会政策」はやらないで、グローバリズムそのものを否定するのはあまりに利己的な短見だ。しかし、これがトランプ大統領の主張する「アメリカ第一主義」の本質だ。
しかし、そういう国が世界のリーダーシップを取ることはできないだろう。このことが生み出す負の影響はほとんど地殻変動的な規模だ。問題は温暖化に留まらない。米国は近い将来、貿易、投資、技術移転、知的財産権の保護、テロとの戦い、核拡散防止、金融政策、為替政策、マクロ経済政策、移民、難民の問題等々、あらゆる多様な問題で世界の協力を必要とするが、そのような協力が円滑に進むかどうか疑問がある。
今後、国際社会はトランプ大統領の政策や発言を注意して特別扱いするだろう。今後米国を信頼して行けないという趣旨のメルケル首相の発言[7]はもっともな面がある。
[7] Following Trump’s trip, Merkel says Europe can’t rely on ‘others’. Michael Birnbaum and Rick Noack, The Washington Post, May 28, 2017.
さらに重要なことがある。パリ協定は21世紀の技術革新への最大の牽引車だ。エネルギー技術はITなどと並び21世紀の世界の技術革新の中心軸だ。それが成長と雇用を拡大させる。これがすでに出現している現実だ。米国がこれに背を向けるという事実は、大多数のアメリカ人自身が何としても受け入れないであろう。米国がこの21世紀の最大の技術イベントの中心にいないということは、ほぼまったくあり得ないことだ。
しかし、これがトランプ大統領が「偉大な米国を復活する」という名目のもとで決定したことだ。早晩大きな揺り戻しが起きるに違いない。オバマ前大統領は即座に「この決定は米国の勤労者・労働者を他国の競争相手より不利な地位に置くことになる」と批判した。電気自動車や蓄電装置などで世界的な技術革新の先頭に立っているイーロン・マスク氏は「トランプ大統領がパリ協定を脱退するなら、同大統領の経済顧問会議から退会する」と宣言した。
パリ協定の協力体制は崩壊しない
一方、私見ではトランプ大統領によって国際社会の結束は崩壊しないだろう。端的に言って、パリ協定が構築している国際協力は瓦解しないだろう。むしろ、今回のことで米国以外のすべての国は温暖化防止、脱炭素世界の実現に向けて団結を強めるだろう。世界が今回のことで怯むとは考えられない。むしろ、一層「脱炭素エネルギー・システム」を実現しようとする新しいダイナミズムが生まれる可能性の方が強い。脱炭素を求める勢力は強くなるだろう。皮肉だがこれはトランプ大統領の功績だと言える。その脈絡で、カーボン・プライシングなどの有効な政策を徹底して動員しようとする動きが強まるだろう。
さらに、世界各国は今後各種の対抗措置をとる可能性がある。具体的には、カーボン・プライシングをしていない米国製品に関税を課すことなどが考えられる。貿易や投資面での「アメリカ第一主義」が相手国からの対抗措置を受けるのと同じように、地球環境保護に動かないアメリカに対して対抗措置が取られるのは必定だ。
米国の有力大企業25社が連名でニューヨーク・タイムズ紙とウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載した全紙面広告では、米国がパリ協定から脱退した場合、外国からの対抗措置の危険があると明白に記述している。トランプ大統領が言うように脱退による雇用増加が保証されている訳ではない[8]。
[8] Trump Sees Job Gains in Paris Exit. Trade Wars Could Erase Them. Michelle Jamrisko, Bloomberg, June 2, 2017.
特に、EU、ドイツ、フランス、中国、インドなどは一層の団結と脱炭素化に向けて作業の強化を図るだろう。その中でカーボン・プライシングの国際化の議論も強まるだろう。もう一つ重要な展開は、米国の州や都市、それに脱炭素化を目指すビジネス界との連携の強化だ。トランプ大統領の離脱声明の直後、オバマ前大統領は「州、都市、ビジネスが温暖化防止の運動を引き継いで行く」と述べた。ニューヨークとロサンゼルスの市長は共にパリ協定を支持して行動しようとしている[9]。
[9] Bucking Trump, These Cities, States and Companies Commit to Paris Accord. Hiroko Tabuchi and Henry Fountain, The New York Times, June 1, 2017.
実際、米国においては州や都市の役割は非常に大きい。その多くはすでに脱炭素に向かって政策を進めている。統計によれば、全球のGHGの70%は都市部で排出されている。カリフォルニア州とニューヨーク州の2州で米国人口の20%を占め、米国のGDPの20%を生産し、米国のGHGの10%を排出している。両州共に再エネの導入には非常に熱心だ。GDPの規模では世界の大国に匹敵するカリフォルニア州は2025年までに州内の電力を100%再エネ化するとしている[10]。
[10] US cities, states vow to honour Paris climate accord despite Trump’s withdrawal. Monique EL-FAIZY, France24, June 2, 2017.
だから今後は、パリ協定の作業はワシントンとではなく、米国のエネルギー転換の真の主人公である州、都市、ビジネス指導者、クリーン・エネルギー推進団体、市民グループなどとの直接的な連携の中で進んでいくだろう。新しい仕組みが考案され、新しいダイナミズムが生まれるだろう。トランプ大統領の否定的姿勢だけ見ていると物事を見誤る危険がある。
私見では、数年後米国は新大統領の下でパリ協定に復帰する可能性は非常に大きい。グローバリズム反対論もバノン補佐官がいなくなれば変わるだろう。バノン補佐官のような人物がワシントンを牛耳り続けるなどということはあり得ない。グローバリズム反対論が米国の本質だと考えている米国人はほんの一握りだ。
温度目標は達成できるのか?
実は今回の米国の離脱を予見して、世界的に著名な温暖化問題専門の三つの研究機関がその場合の温度目標との関係を分析していた。その結論は、インドと中国の石炭消費減が著しいため、トランプ政権が離脱しても2030年までの全球排出量には大きな衝撃を与えないだろうというものだ。この分析はワシントンポスト紙などでも報道されている。
この種の分析は、今後、世界中の専門家が一斉に行うであろう。そしてパリ協定の1.5〜2℃目標や全球脱炭素にどのような影響が出るのか明らかになるだろう。どんな結果でも、米国以外のすべての国はパリ協定に留まって21世紀後半の脱炭素化を目指して努力を一層強化するだろう。
世界的にクリーン・エネルギーへの転換は進む…
Bloomberg New Energy Financeの最新レポートによれば、2016年全球での再エネ新設発電容量は138.5GWであったがこれは過去最大の新設容量である。一方、再エネへの投資額は2,416億ドルで、これは2013年以来の低水準だ。重要なことは再エネの急速な価格低下のせいで、少ないコストでより大きな発電能力を生み出している点だ。しかも、2016年の再エネへの投資額は化石燃料への投資額の2倍なのだ。再エネの価格は破壊的に低下し[11]、クリーン・エネルギーへの転換は利益の出る投資になった。
[11] Stunning drops in solar and wind costs turn global power market upside down. Joe Romm, ThinkProgress, April 7, 2017.
しかも、時間軸においても、エネルギー転換の速度は急速だ。IEAは2002年当時、再エネだけで500テラワット時を生産するのに28年かかると計算していた。しかし、実際はたった8年しかかからなかった。2010年当時、太陽光で180ギガワットを発電するには2024年までかかるとしていたが、実際は2015年にできた[12]。
[12] Paris Isn’t Burning – Why the Climate Agreement Will Survive Trump. Brian Deese, Foreign Affairs, July/August issue, 2017.
さらに重要な点は、米国や中国を含む世界35か国で経済成長とCO2排出は切り離されていることだ。経済は成長する一方、CO2排出は横這いか低下している。つまり、デカップリングはすでに現実であり一般化している。「CO2排出を抑制することは生産抑制に直結し、従って成長を阻害する」とは言えなくなっている。それどころか脱炭素エネルギー・システムへの転換こそ利益を生む投資となったのだ。トランプ大統領とその一派が論じている経済への負担論は虚構になっている。
パリ協定を生み出した世界的状況は、京都議定書時代とは根本的に違うものになった。京都議定書の時代では、温暖化防止問題はどの国にとっても負担・コストだった。しかし、パリ協定においては、温暖化を防止する再エネの大量導入は利益の出る投資になった。端的にいうと、パリ協定は商機を提供している。だから化石燃料投資に比して倍以上の金額の再エネ投資が行われているのだ。再エネの価格低下は地殻変動を生んでいる[13]。
[13] Record new renewable power capacity added worldwide at lower cost. UN Environment, ScienceDaily, April 6, 2017.
トランプ大統領が何を命令しようとも、世界がクリーン・エネルギーに向かうエネルギー転換の潮流を阻止することはできない。パリ協定は生き残る。この潮流に乗らない米国のビジネスは敗退するだろう。
なぜこれほどの執着でパリ協定を離脱するのか?
トランプ大統領は「自分の決定はアメリカを再度偉大にする」と述べた。しかし、パリ協定以来、クリーン・エネルギーへの転換が世界中でどれほど進行しているかを知らないでトランプ大統領は石炭回帰を決めた。知らないで決めたのならアメリカの大統領としてはあまりに無知だ。いや、周囲の補佐官らは散々ブリーフィングをしているから恐らくは分かってやっているのだろう。そうであるならば、なぜこんな無謀なことをするのか?
私見では、唯一のあり得る理由はオバマ前大統領への反発だ。実際、トランプ大統領のやっていることを分析すると大部分はオバマ政策を壊滅させるという執念に由来している。ティム・ケイン上院議員は「トランプはオバマに嫉妬している」と発言した。
2008年、黒人でリベラルなオバマ大統領が就任したことは、トランプ氏と多くの白人保守層にとっては大きな驚愕だった。トランプ氏は「オバマ氏は米国人ではないから大統領になる資格がない」と執拗に、そして頑強に言い張った。その上、オバマ大統領が人格的にも、知的にも、指導力でも、遥かに優れた大統領であったし、国民の支持率も高かったことから、トランプ氏はオバマ大統領への敵意を募らせてきた。
大統領になってからやっていることの大半は、オバマ大統領の顕著な功績(オバマケア、パリ協定、キューバとの国交回復など)を潰しにかかっている。パリ協定からの離脱は「オバマ政策の全面的解体」で溜飲を下げようとするトランプ大統領の屈折した心理を反映している…。そう考えないと辻褄が合わない。
また、今回の決定に至る経緯は、トランプ大統領の指導力と判断力の欠如を示している。パリ協定を離脱しても米国の貧困層救済はできない。その上、地球環境の破壊に手を貸すことになる。今回の決定は二重の間違いだ。トランプ大統領にしては異常に長い時間をかけて自分の大臣や補佐官や顧問たちが甲論乙駁するのを聞いていた。それにも拘らず、最悪の間違いを犯してしまった。今回のことは自分だけが世界の問題を解決出来ると自慢してきた人物の正体を示している。
WEBRONZA「パリ協定を離脱するトランプ大統領の大誤算 – 温暖化防止への国際協力は壊れない(2017年6月7日)」より改稿