気候変動対策のもうひとつマイルストーン:メルケルとG7のリーダーたちは、エルマウ(ドイツ)で今世紀中の世界経済の脱炭素化にコミットすることを合意しました。Photo: © dpa Michael Kappeler.

「気候宰相」アンゲラ・メルケル

2016年1月18日

ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、長年にわたる排出削減のための国際的な行動から、「気候首相」というニックネームをつけられています。しかし、2021年冬に16年間のドイツでの指導を終えた今、多くの人が彼女の気候に関する遺産は平凡なものであると見ています。国際的なオブザーバーは、他の国家元首や政府との交渉における彼女の確固たるリーダーシップを評価する一方で、国内では「気候変動対策の失われた10年」と批評しています。このファクトシートでは、メルケル首相の気候変動への関わりを年表にしています。

1954〜1989年 科学者メルケル

プロテスタントの牧師の娘として、メルケルは東ドイツで育ちました。科学に夢中になった彼女は、1973年にライプチヒ大学へ進み、物理学を学びました。その後、彼女は東ベルリンの科学アカデミー物理化学中央研究所で研究を進め、1986年に博士号を取得しました。

1989年にベルリンの壁が崩壊すると同時に彼女は政界入りし、当時、ヘルムート・コールの下で政権を担っていた中道右派キリスト教民主同盟において、急速に力をつけていきました。

1995年CDU立候補時のポスター Photo: KAS (via Wikimedia Commons)
1995年CDU立候補時のポスター Photo: KAS (via Wikimedia Commons)

1994〜1998年 環境大臣

1994年、メルケルは環境大臣を務めることになります。そして、翌1995年には、彼女はベルリンで開催された最初の国連気候変動会議の議長を務め、これがドイツを世界的なCO2削減運動の最前線に立たせることとなりました。

「温室効果ガスの排出を安定させるだけでなく、可能なかぎり早急に排出を削減しなければなりません」メルケルは、会議がはじまる直前にフランクフルターアルゲマイネ紙日曜版にこのように書いています。

伝記作家によれば、交渉中に挫折した彼女は涙を流したと言われています。再開した交渉の後、合意に至りました – それは彼女にとって誇るべき瞬間でした。メルケルは、最初の国際的な気候変動政策である1997年の京都議定書の交渉も担当しました。

2005〜2007年 「気候宰相」の誕生

2005年、メルケルはCDUとライバルの社会民主党(SPD)による「大連立」政権の代表として首相に選出されました。2007年には、彼女がホストとなってG8先進国世界経済サミットが開催sれました。「私は現在まで10年にわたって気候変動対策に取り組んできましたが、厳しい奮闘になるだろうと考えています」と、メルケルはG8サミット開催数日前のインタビューに応えています。米国大統領ジョージ・ブッシュが2℃上昇の制約に対して疑念を示していることについて聞かれた彼女は次のように述べています:「IPCCによる信頼された科学的知見を水に流すようなことを私は受け入れたりしないので安心して下さい。」

実際に、彼女はG8の首脳たちにIPCCの科学を受け入れるよう説得し、拘束力あるCO2削減目標が必要であるということを合意させました。また、メルケルはEUにも排出削減目標を設定させることにも道筋をつけました。ドイツのメディアは彼女を「気候宰相(Klimakanzlerin)」と呼ぶようになりました。

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G8ハイリゲンダムでの会合で、メルケルたちは拘束力をもった温室効果ガス排出削減目標が必要であることに合意しました。Photo: © REGIERUNGonline/Plambeck.

2009年 コペンハーゲンでの敗北

メルケルは、2020年までにCO2を25%削減することに合意するように各国に働きかけた2009年のコペンハーゲン国連気候変動会議での敗北を認めています。サミットが終了する24時間前、メルケルは世界の首脳に解決策を見出すように訴えました:「私たちが帰国し、なにも成し遂げることができなかった理由を説明すれば、気候変動対策に取り組みたくない人たち、貧困対策に取り組みたくない人たち、生活を変えたくない人たちにとっては朗報となるでしょう。21世紀のより良い世界の未来を守りたいというすべての人たちにとっては、それは最悪のシグナルとなりますが。」

最終的には、各国は今世紀中に世界の気温上昇を2℃以内に抑える目標の設定に失敗しました。メルケルは、気候変動対策は世界レベルで取り組まなければならないと述べます。「私たちは皆お互い助け合う必要があり、私たちの生活のあり方を変える意思を持たなければなりません。」

2010年 原子力からの撤退を翻す

ビジネス・フレンドリーな自由党(FDP)との連立を組んだメルケルは、2021年までに脱原発するという決定を翻します – 2000年代はじめに、ゲルハルト・シュレーダー首相のSPD/緑の党連立政権のもとで合意されていました。環境活動家たちは数十年にわたって技術と格闘してきたものの、メルケルはそれまでのところ、シュレーダーの決定は「完全に間違っていた」と述べています。メルケルは、気候変動対策の目標を達成する上で、原発の閉鎖によって石炭火力発電への依存度を高めることは問題だと考えていました。

2011年 福島がメルケルを脱原発に変えた

原子力発電所の稼働延長の最終決定のほんの数ヶ月後、福島第一原発事故がメルケルにドイツ政治史上もっとも劇的なUターンを促すこととなりました。日本での事故から数日の間に、彼女は原子力技術からの撤退の意図を発表し、それに対応してすべての原子力発電所を2022年までに閉鎖する法案が、議会の大多数の賛成のもと、6月に通過しました。「福島が私の原子力に対する姿勢を変えました」とメルケルは議会で述べています。特に、多くの国際的な評論家たちは、原子力から撤退するこの最終決定が「エネルギー転換(Energiewende)」の本当のスタートだと見ています。

同年、メルケル政権は、ドイツのエネルギー転換が成功するように、国として長期的な政策目標にコミットする政策パッケージを通過させました。与野党の強力な賛成のもと、議会は2050年までの次の目標に合意しました:温室効果ガスの80〜95%削減し、総エネルギー消費の60%を自然エネルギーで供給し、エネルギー利用そのものを半減させる。

2013年 自動車産業のメルケル首相

自動車のCO2排出削減について、5年にわたるEU交渉の後、すべての加盟国は基準をより厳しくする妥協に合意しました。しかし、2013年7月、メルケルは最後の議事でEU議会議長のアイルランドにこれを議題から外すことを求めました。ドイツ政府のあるスポークスパーソンは「ドイツの自動車産業の特異性は考慮されるべきだった」と述べています。これによりプロセスは遅延し、もう1年かかることとなり、基準を弱めることにつながりました。ドイツ議会野党と環境団体は首相の決定に激怒し、国内メディアは、メルケルがドイツの自動車産業を守るために「弱いものいじめ戦術」を使ったと他のEU加盟国が訴えていることを報じました。

自動車産業との接近:フランクフルト国際モーターショー2015でのメルケル首相 Photo: Bundesregierung/Kugler.
自動車産業との接近:フランクフルト国際モーターショー2015でのメルケル首相 Photo: Bundesregierung/Kugler.

2015年 やはり「気候宰相」なのか?

メルケルは、ドイツが議長国を務めたG7サミットで気候・エネルギー政策を主要議題に取り上げました。パリに向けた準備会合である5月のペータースブルク気候対話で、国際気候基金に対するドイツの拠出を2020年までに倍増させるとメルケルは述べました。途上国が気候変動の影響を緩和し、適応するのを支援するため、2009年、先進国は2020年まで毎年1,000億ドル(870億ユーロ)を拠出することに合意していました。「もし私たちが誓約に敬意を表するのであれば、私たち先進国は全体としてまだまだやらなければならないことがたくさんあります」と、メルケルはG7メンバーに語りました。6月のドイツG7サミットで、彼女はG7のリーダーたちに対して、今世紀の終わりまでに経済を「脱炭素化」する考え方にコミットするように促しました – この動きは環境NGOたちから多大な称賛を受けました。

気候変動対策のもうひとつマイルストーン:メルケルとG7のリーダーたちは、エルマウ(ドイツ)で今世紀中の世界経済の脱炭素化にコミットすることを合意しました。Photo: © dpa Michael Kappeler.
気候変動対策のもうひとつマイルストーン:メルケルとG7のリーダーたちは、エルマウ(ドイツ)で今世紀中の世界経済の脱炭素化にコミットすることを合意しました。Photo: © dpa Michael Kappeler.

しかし、石炭への依存を終わらせることができないことから、彼女が率いる政府のコミットメントには疑問が残ります。さらに、きわめて汚染度が高い褐炭発電を利用することは、1990年レベルに対して2020年までに40%排出を削減するという目標の達成をリスクにさらすことになります。この困難は、石炭産業のようなステークホルダーに目標達成のための政策に合意させようとする国の気候変動対策実行計画の詳細に現れています。

メルケルは、6月にフランクフルトアルゲマイネ紙とタイム誌の論説に寄稿し、12月のパリ会議では「私たちは、世界の気温上昇を2℃以内に抑えるための目標へと近づくでしょう。それは、すべての科学者が言うように、唯一もっとも筋の通った指標ですから。」と述べています。

会議の直前、グリーンピース代表のクミ・ナイドー氏はインタビューで、国内に課題を抱えていたとしても、メルケルがパリを成功に導くために全力を尽くすことは間違いないだろうと述べています。世界資源研究所気候プログラムでグローバル代表を務めるジェニファー・モーガン氏はメルケルに会ったことについて、首相は世界のどの首脳よりも気候問題について深い知識をもっているとClean Energy Wireに述べています。モーガン氏は、メルケルの「気候宰相」というニックネームは、国際的な視点から確かに十分な根拠をもっていると述べます:「私は、彼女が科学と問題になっていることを理解していると確信しています。」

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著者:エレン・タールマン(Ellen Thalman)

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元記事:Clean Energy Wire “The making of “Climate Chancellor” Angela Merkel” by Ellen Thalman, Nov 26, 2015. ライセンス:“Creative Commons Attribution 4.0 International Licence (CC BY 4.0)” ISEPによる翻訳

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