先日出版された『イーロン・マスク』(ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳)を出版と同時に購入した。あまりに面白く、上下で全95章のエピソードを小気味よく進めてゆくアイザックソンの手法もあいまって、週末で一気に読み切った。以下、簡単な備忘録として。
モビリティの「iPhoneモーメント」を創り出したイーロン
本書を読むと、今の電気自動車(EV)はすべてテスラ(=イーロン・マスク)が「再発明」したことが、はっきりと分かる。イーロンは、モビリティの「iPhoneモーメント」を創り出したのだ。ギガプレスはオモチャのクルマから発想したエピソードも面白いが、すべてイーロンの「第一原理思考」のなせる技だ。その結果として実現している現在の急激なEVの進展や蓄電池のコスト低下には、イーロンに心から感謝したい。これは「持続可能エネルギーを創る」というビジョンが極めて明快だからだろう。
2008年のテスラとスペースXの「ダブル危機」のシーンが圧巻だ。どちらもこれ以上失敗できない、どちらかひとつを選ばないと全財産を失うと迫られたイーロンは、それを拒否して両方に賭けて、どちらも成功したのだ。どちらか一方を諦めると「電気自動車はダメだ」という道標が立つか、複数惑星に住むことができなくなるか、どちらか一方の人類の進歩が遅れると考えたのだ。常人の思考ではない。
「5つの戒律」とシュラバ
テスラの持続的なイノベーションの源泉のもうひとつの秘密に「5つの戒律」がある。
- 要件はすべて疑え。国の要件もせいぜい「勧告」として扱え。
- 部品や工程はできる限り減らせ。減らしすぎて後で増やすくらいが良い。
- その上で、シンプルに最適にしろ。
- さらにその上で、サイクルタイムを短く、スピードアップしろ。
- そして最終的に自動化しろ。
この「5つの戒律」を実現するために、チーム全体が「シュラバ」(修羅場。原本ではsurge)という仕事モードになる。イーロンを筆頭に、関係者全員が寝ずに狂乱になって、時には吐きそうになりながら、タスクや問題解決に集中的にあたるモードを指す。そして「5つの戒律」にそったプロセスが創られていく。
週に20ものアップデートが継続的に行われる「アジャイル」と呼ばれる切れ目のない連続的な改良やイノベーションの現場である。
国の要件もせいぜい「勧告」として扱い、できれば無視しようとするテスラのスタイルと変革のスピードは、到底、日本では無理だろう。EVレースで5年も前からテスラを追いかけはじめたフォルクスワーゲンやフォードでさえ、テスラの背中はますます遠ざかるばかりだ。果たしてトヨタは追いつけるのか。
目前に来ているモビリティの「ChatGPTモーメント」
オラクル会長でテスラの取締役でもあるラリー・エリソン氏は、同社のクラウドワークス会議(2023年9月20日)で「12ヶ月以内にテスラから完全な自動運転車が出る」と発言した。これこそ、モビリティの「ChatGPTモーメント」となるだろう。
全世界を走る500万台のテスラ車からシャドーモードでデータを集め、これで自らのAI専用スーパーコンピュータ「Dojo」でディープラーニングをして、各車両の自動運転に活かす「エンド・ツー・エンド」の自動運転車が登場しようとしている。
Lidar(3次元レーザー)とダイナミックマップに頼らざるを得ないGoogleウェイモやGMクルーズはもとより、中国勢といえども、ビジョン方式によるテスラの膨大なデータ量とエンド・ツー・エンド方式の自動運転に追いつける企業は、少なくとも今のところ地球上に見当たらない。
EVレースの「iPhoneモーメント」ではテスラと中国勢の支配が見えてきつつあるが、自動運転レースの「ChatGPTモーメント」は今のところテスラ以外の勝者は見えない。しかも、これにボット(人型ロボット)も加わろうとしているのだ。
「馬に乗れない騎兵隊長」は要らない
最近でも、次期コンパクトカーの設計・製造をギガ・メキシコではなく、ギガ・テキサスのイーロンの居る場所で設計・製造することを決めたトピックスがあった。
この「設計と製造を同居させる」というのも、イーロンの垂直統合とイノベーションでもっとも重要な要素のひとつだ。ソフトウェアの管理職は仕事時間の20%はコードを書く、ソーラールーフの管理職なら自分も屋根に登って設置作業をする(イーロンが実際に屋根に登って職人と議論する場面も出てくる)。そうしなければ「馬に乗れない騎兵隊長、剣の使えない将軍」になってしまう、というのだ。
私たちISEPも、政策提案と事業の実践を繋ぐ努力をしてきたが、イーロンは直接的な現場と根本にある物理の第一原則という「両極」にはるかに徹底しているのだ。
この点こそ、日本がもっとも学ぶべき点だと感じる。霞ヶ関の役所は補助金とそのルールをつくり、執行は他に任せる。これをデン〇ーやパ〇ナが受けて、中抜きして大企業に丸投げする。それが多段階の階層となって中抜き→丸投げの構図が重なる。それと同時に、分野毎に「タコ壺」(サイロ)に入って、各タコ坪の旧来からのルールを頑なに譲らない。これらが縺れた糸のように絡み合って、日本全体が高コスト、縦割り、壮大な無駄を生み出しながら、テコでも動かない状況に陥っている。
ジョブズを越えるイーロン、やっぱりゲイツは…
スティーブ・ジョブズが亡くなったあと、大きな喪失感を感じ、彼を超える人はもう出てこないだろうと思ったのだが、間違いなくイーロンはジョブズを越えている。
どちらも「現実歪曲空間」で人を引きつけ、「ゼロから1」を生み出す素晴らしい創造をしたが、ジョブズのそれは禅に裏付けられたシンプリシティと創造力であるのに対して、イーロンは物理の第一原則から思考し、現場に寝泊まりしながら、製造現場と設計と物理のすべてを垂直統合して生み出す創造力という違いだ。この禅と物理の違い、言い換えると「直感とスピリチュアリティ」に対して「物理の第一原則とエンジニアリング」との差が大きい。
また、同じ「現実歪曲空間」でも、ジョブスは「宇宙にへこみをつくりたい」といった漠然としたビジョンだったが、イーロンは「持続可能エネルギーの世界を創る」と極めて具体的だ。
なお、私自身はビル・ゲイツをあまり評価していないが(Windows は Macintosh から「盗んだ」疑惑、Mac に比べて Windows の美しくないフォントや画面、最近の小型原発 SMR へのスジ悪投資、大気を汚すジオ・エンジニアリングへのスジ悪投資など技術センスが悪すぎる)、それがあらためて確認できた。本書に登場するゲイツとイーロンとの絡みでは、持続可能エネルギーのために全財産を賭けたイーロンに対して、ゲイツが今なおテスラ株に対してショート(株価下落に賭けて儲ける姿勢)をしているなど、本当にロクな奴じゃない。
イーロンが日本の「リベラル」と環境コミュニティで不人気な訳
ところで、Twitter 買収後はとくにそう感じるのだが、「リベラル」や日本の言論コミュニティでは「イーロン嫌い」の雰囲気がある。イーロンの政治的に無邪気とも言えるツイートを見ると、それは理解できる。
これは、「持続可能エネルギーを創る」というテスラのビジョンと比べると、X(旧Twitter)に関するイーロンのビジョンが少し曇り濁っていることもあるのではないか。かつて銀行を作り替えようとペイパルを創った後で追い出された過去に対する「リベンジ」という要素も感じられ、誰もが共感できる「夢」がまだ語られていないためではないか。
他方、アイデンティティを場に依存しがちな日本社会では、一度できあがった「場」や「方法」に粘着する傾向が強いこともあるかもしれない。これほどのユーザー数を持ったX(旧Twitter)という言論空間が、一定の公共性を持つことは明らかだ。しかし、それは本来の公共空間における「市民権」ではなく、どこまで行っても一私企業のプラットホームの「ユーザー」に過ぎない。私自身はX(旧Twitter)を情報収集の手段と割り切りつつ(特に英語系は有益だ)、これからイーロンが創りあげていこうとしている「新しいXコミュニティ」の変化の行く末を見届けようと考えている。
また日本の環境コミュニティでは、EVは不人気だ。EVは原発推進という旧い考えに囚われた言説も根強い。自転車と公共交通中心でクルマを抑制する従来の考えも未だに中心を占める。これはこれで良いのだが、近年のテクノロジーの加速度的な進展を真正面から受け止めて、自らの思考をアップデートしなければ、現実的かつ合理的な研究や実践にはならないのではないか。
いずれにせよ、イーロン・マスクに嫌悪感を持つとしても、彼が成し遂げつつある「21世紀最大の壮大な冒険」から目を背けることは、控えめに言っても人生の機会損失であり、これから世界がどう変わるか理解する機会を失うのではないだろうか。
@energydemocracy.jp 『イーロン・マスク』備忘録 / 飯田哲也 – https://energy-democracy.jp/5203 先日出版された『イーロン・マスク』(ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳)を出版と同時に購入した。あまりに面白く、上下で全95章のエピソードを小気味よく進めてゆくアイザックソンの手法もあいまって、週末で一気に読み切った。以下、簡単な備忘録として。#エネデモ #イーロンマスク #書評 #第一原理思考 #テスラ #電気自動車 #5つの戒律 #自動運転車 #chatgptmoment ♬ Becoming Cyclonic (Mixed) – Jimpster