環境エネルギー政策研究所(ISEP)の飯田哲也所長のインタビューを続ける。
―― なぜ、日本には、これまでエネルギーをテーマにしたオープンな言論の場がなかったのでしょうか。
飯田:まず、電力会社およびエネルギー業界、政府(経産省)というもっとも影響力の大きい二つのプレーヤーがいて、原子力政策にしろ、エネルギー政策にしろ、環境政策にしろ、そこで用意された「お座敷」で議論されて決められてきました。
しかも、「お座敷」に呼ばれるエネルギー専門家は、ほぼ例外なく原発ありき、石炭火力ありきの守旧的な目線の人たちで占められてきており、社会への眼差しや根底からの変化は視野に入らなかった。エネルギー政策の知識や情報の供給源は、そういう専門家が中心でした。
メディアは、3.11前も後も、電力会社や政府の影響を強く受けてきたため、「開かれた公論の場」を設ける役割を果たしてきませんでした。
他方、原発を批判する側は、反原発派や原発訴訟など「中心」から排除されてきたため、環境エネルギーに関する言論の場に参加する機会が与えられませんでした。
しかし、現在進行形で進む急激なエネルギーシフトによって、いまほど社会が変わろうとしている時代はありません。自然エネルギー、分散型エネルギーによって産業構造も変わろうとしています。地球温暖化に関しても非常に大きいリスクがある。とりわけ、福島第一原発事故によって、国家の存立が危ぶまれる一歩手前を経験した日本こそ、このエネルギー政策と日本社会をどうしていくのか、エネルギー政策、ビジネス、産業構造についての議論が、いまこそ必要とされていると考えます。
欧州では、1970年代の石油危機と原発論争の時代から環境エネルギー政策に関する公論の場が少しずつ形づくられ、政府も、NGOも同等の場で、お互いの論、政策、提案、研究を競い合い、積み重ねてきました。日本でも、そういう成熟した対話と積み重ねの場が必要なときだと考えます。
―― エネルギーデモクラシーのサイトを見ると、これまでバラバラに発言していた人たちが、一堂に会している感がありますね。こういう議論が見える場というのは、確かになかったように思います。
飯田:環境、エネルギー、原子力と政治・経済・社会との関わりの中で、「プログレッシブ」な気分を共有できる人たちが、自由に提言・発言できる場をつくったら、結果としてそうなったということです。ひとまとまりになることによって、「場の力」を持ち、一定の議論のかたまりを総体として見ることができる。そうした議論の積み重ねをとおして、日本の進路が見えてくるのではないか。これからもいろいろな人に参加してもらい、発言してもらいたいと思っています。
地球温暖化の専門家、原子力の専門家、再生可能エネルギーの専門家、その中でも風力、太陽光など専門は分かれているのですが、全体を横串で見た時に、日本の課題や次の時代の新しい「環境エネルギーのかたち」が見えてくることを期待しています。
―― 一方で、東日本大震災や原発事故の教訓をチャラにして、まるで何もなかったかのように、古いエネルギー体制や原発へ戻そうという人たちの動きも活発になっています。
飯田:非常に乱暴な進め方が目立ちますね。事実とか、論理とか、実証とかを、全部踏みにじって、とにかく原発の再稼働や原発維持ありきを目指す乱暴な動きです。その先には、原発の新設や電力会社の独占維持も視野に入っているようです。原発再稼働にたどりつくためには、形式的な手続きを積み重ね、あとは押し切れば良いというふうに見えます。
3.11前も同じこと(形式的な手続きの積み重ね)をやっていましたが、今はそれ以上に乱暴なやり方です。おそらく、乱暴に進めるしかない状況なのでしょう。それに対抗するには、デモや訴訟も、もちろん一定の有効性があると思います。しかし、規範的な方向性をきちんと指し示せば、それを「羅針盤」として見てくれる人も多いのではないかと思うのです。
原子力ムラの人たちが、形式的な手続きだけで乱暴に進めていくのを、短期的・直接的にはくい止める力はないかもしれませんが、長い目で見れば、「論理のない支配」よりも「筋の通った影響力」が優ると信じています。原発は経済的にも不合理であることがはっきりしています。論理的でなくて、経済不合理なものが、そんなに長く続くわけがない、と考えています。
―― でも、日本では続いてきたんですよね。3.11がなければ、原発神話はもっと続いていたと思います。
飯田:いまの状況は、「バックラッシュ」(揺り戻し)というか、3.11後の怨念のような反発が出ているようにも見えます。経産省にとって、民主党政権下での2年間、とりわけ3.11後は、非常に屈辱的だったと思います。電力会社や原子力ムラの人たちも散々たたかれましたから、それに対する反発も大きいのではないでしょうか。原発再稼働や原発維持を傍若無人に進めているウラには、その反発と怨念があると見ています。
―― 異議を唱える方も、前と同じやり方で対抗するだけではもったいないですよね。せっかく3.11を経験したのですから。
飯田:デモや訴訟も、それはそれで必要だと思いますが、政権や経産省がやってきたことには正当性がないということを、きちんと論理や事実で示していくことが、必要だと思います。
―― エネルギーについては、海外の誤った情報を社会に流布しようとする動きも見られます。環境、エネルギーに関する海外の状況については、日本語になっている情報が少ないですよね。
飯田:エネルギーデモクラシーは、国内ではウエブロンザとシノドス、ハフィントンポストと連携し、国外ではドイツのリニューアブルズインターナショナル、オーストラリアのリニューエコノミーなどと協力して、環境エネルギーに関する「プログレッシブ」な情報を日本語と英語で双方向に提供していきます。
3.11から4年たって、社会のエネルギーへの関心が冷めたと言われますが、あの時は日本人全員が、固唾を呑んで原発事故の帰趨を見守っていましたし、帰宅難民や計画停電もありました。
シーベルトとか、kWhとか、電気料金の総括原価方式といった専門家用語があっという間に一般の人たちに広まり、節電やエネルギーについての考えがいったんは共有されました。これほど多くの国民が、原子力、エネルギー、放射能について、当事者として経験したのは、世界史的にもないことだと思います。
3.11後に起きているもう一つの大きな現象は、自然エネルギー、分散型エネルギーの普及です。私自身が10数年前に固定価格買い取り制度(FIT)導入の運動を起こした時は、ごく限られたプレーヤーしかいませんでした。
それが現在では、日本中のご当地エネルギーの他、数多くの企業、地方自治体、NGOなど、自然エネルギービジネスに参入している人や実際に携わっている人が、桁違いに増えています。それも、エネルギーについての良識ある言論の場やメディアが必要とされる理由の一つだと考えています。
オリジナル掲載:WEBRONZA:「筋の通った影響力で対抗」飯田氏に聞く〈下〉(2015年2月15日)